幕府は浮世絵が風紀を乱すものと考え、老中・松平定信による寛政の改革によって、美人画に遊女以外の名を記すことが禁じられる。寛政12(1800)年に美人大首絵の制作が禁じられると半身像や3人組を描き、取り締まりの裏をかいた工夫を次々に発表した。
ぬばたまの黒髪にほふ水茶屋の娘おきたが茶をささげ持ち
丑の刻手洗ひに立つしどけなき遊女が持てる紙燭と懐紙
「石橋」を舞ふ町娘手をそろへあごに添えたりもの思ふ獅子
胸底の恋の残り火もてあます島田くづしの髷の重たさ
頬杖に何を思ふや夕されば剃り落としたる眉ぞかなしき
うつむける大丸髷のまなざしは煙管手にしてうつろなりけり
客待ちて「あやめ」「をりの」と話すらし腰を落とせる遊女唐土