天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌麿とは(3/4)

 幕府は浮世絵が風紀を乱すものと考え、老中・松平定信による寛政の改革によって、美人画に遊女以外の名を記すことが禁じられる。寛政12(1800)年に美人大首絵の制作が禁じられると半身像や3人組を描き、取り締まりの裏をかいた工夫を次々に発表した。

 

  ぬばたまの黒髪にほふ水茶屋の娘おきたが茶をささげ持ち

  丑の刻手洗ひに立つしどけなき遊女が持てる紙燭と懐紙

  「石橋」を舞ふ町娘手をそろへあごに添えたりもの思ふ獅子

  胸底の恋の残り火もてあます島田くづしの髷の重たさ

  頬杖に何を思ふや夕されば剃り落としたる眉ぞかなしき

  うつむける大丸髷のまなざしは煙管手にしてうつろなりけり

  客待ちて「あやめ」「をりの」と話すらし腰を落とせる遊女唐土

 

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寛政三美人