天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

心を詠む(3/20)

  かたちこそみやまがくれの朽木なれ心は花になさばなりなむ

                      古今集・兼芸

*「姿形は奥山の朽ちた木のようにみすぼらしくても、心持ちは花のようになれるものだ。」

人は見た目ではなく、花になる心が大切! という。

 

  身をすてて行きやしにけむ思ふより外なるものは心なりけり

                   古今集凡河内躬恒

*「体を離れて勝手に行ってしまったようだ、思うにまかせないものが心なのであったなあ。」

 

  いのちだに心にかなふものならば何かわかれの悲しからまし

                      古今集・白女

*「命さえ心のままになるものならば、何で別れが悲しくありましょうか。」

白女は、摂津国江口の遊女という。この歌は、源実(さね)が、筑紫へ温泉に入るために出かける時に、山崎で別れ惜しんだ際に詠んだもの。本当に悲しんでいるのか、戯れているのか不明だが、初句二句が深刻すぎる。

 

  思へども身をし分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる

                    古今集・伊香淳行

*「一緒に行きたいとは思うけれども、この身を二つに分けるわけにもいかないので、「目に見えぬ心」をあなたと一緒に付き添わせましょう。」

 

  たらちねの親のまもりとあひ添ふる心ばかりは関なとどめそ

                   古今集・小野千古母

*詞書に、「小野千古が陸奥介にまかりける時に、母のよめる」とある。母が詠んだだけに、初句の枕詞が生々しい。

「親の守りとしてこの子に相添える母心だけは、関守よ関止めにしないでおくれ。」

 

  身は捨てつ心をだにも放(ほふ)らさじ終にはいかがなると知るべく

                    古今集藤原興風

*身は捨ててしまっても、心だけは放り出さない。それは最後の自分の行方をしるために。

 

  白雪のともに我が身はふりぬれど心は消えぬものにぞありける

                    古今集大江千里

  いにしへの野中のしみずぬるけれどもとの心をしる人ぞくむ

                   古今集・読人しらず

*暗喩の歌。昔は冷たかった「野中の清水」が、今はぬるくなっている。「もとの心」を知っている人は、ぬるくなった清水を汲む、とはどのような状況を想像するであろうか。

 

 古今集には、比喩や理屈っぽい歌が多い。一首目は、男が女たちから姿を揶揄われたときに詠んだ歌であろう。負け惜しみに聞こえる。二首目は、心が自分の思うようにならない、制御しがたい、という感覚を詠っている。四首目も体とは別に心が存在する考えを反映している。

 

f:id:amanokakeru:20210224063159j:plain

白雪