天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

命の歌(8/17)

  さりともと思ふ心になぐさみてけふまで世にも生ける命か

                   続後撰集藤原敦忠

*さりとも: そうであっても。

 

  めぐりあはむ頼みぞ知らぬ命だにあらばと思ふ程のはかなさ

                   新葉集・後村上天皇

  死ぬばかりまことに嘆く道ならば命とともにのびよとぞ思ふ

                 新続古今集・傀儡 あこ

*「あこ」は「阿己」と書き、尾張の傀儡(くぐつ)遊芸人。

 

  はかなしや命も人の言の葉も頼まれぬ世を頼む別れは

                    兼好法師集・兼好

*「はかないものだ。人の命も人の言葉も当てにならないこの世なのに、別れに際しての再開を期する言葉を頼みにすることとは。」

 

  君がため世のため何か惜しからむ捨ててかひある命なりせば

                    梨花集・宗良親王

*「君の御為、世の人々の為、何を惜しむことがあろう。捨てて甲斐のある命であったなら。」

 

  命あればこやの軒端の月も見つまたいかならむ行末のそら

                    増鏡・後醍醐天皇

*こや: 昆陽(こや)は、兵庫県伊丹市の地名。

「命があったので、昆陽の宿の軒端に射す月も見ることができた。 これから先はどうなるのだろうか。」

 

  世にあれば今年の春のはなも見つうれしき物は命なりけり

                        本居宣長

  命こそはかなものなれ宝なれたから物なれはかなものなれ

                        安藤野鴨

 

 後村上天皇宗良親王後醍醐天皇 三者ともに似通った詠み方になっている、と感じる。本居宣長の率直な詠みっぷりが際立つほどである。兼好の気持も判りやすい。

 安藤野鴨の歌は、ふざけた作り方に見える。「はかない物」=「宝物」というとらえ方が捨てがたい。

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軒端の月