乗りもののうたー車馬
車馬とは、車と馬。車や馬などの乗り物。また、車をひいた馬。ここでは牛車もふくめる。
馬の歩み押さへ止(とど)めよ住吉の岸の黄土(はにふ)ににほひて行かむ
万葉集・安倍豊継
*「馬を抑えて歩みを止め、降りて立ち寄り、住吉の岸の黄土で美しい色に染まって行こう。」
ま遠くの雲居に見ゆる妹が家(へ)にいつか至らむ歩め吾が駒
*「はるか遠くの雲が懸かって見える愛しい貴女の家に、そのうちに着くだろう。歩め、わが駒よ。」
こまなめていざ見に行かむ故郷は雪とのみこそ花は散るらめ
古今集・よみ人しらず
*「馬を連ねてさあ見に行こう、ふるさとはまさに雪のように花が散っているだろうから。」
もち月の駒よりおそく出でつればたどるたどるぞ山は越えける
後撰集・素性
*「こま」に「木間」「駒」を掛け、「望月の駒」(信濃国望月の名馬)を隠している。
「十五夜の月が木の間から出たのが遅く、また私の乗る馬の出発も遅れましたので、暗い夜道を辿り辿りしながら山を越えて参りました。」
世の中にうしの車のなかりせば思ひの家をいかで出でまし
拾遺集・よみ人しらず
*うしの車: 牛の車。「うし」には「憂し」が掛けられている。牛車が憂いを持ち去ってくれるものと想定しているようだ。「思ひ」は、物思いの意。「思ひ」の「ひ」を火にかけて、「思ひの家」は、火の家、つまり火宅(かたく)をいう。さらには迷いに苦しめられるこの世を意味する。
「世の中はもの憂い。救い出してくれる牛の車がなければ、思いの火に焼かれる家をどうして出ることができよう。」
遠くより喇叭(らつぱ)鳴らして夕晴れの高原のうへを来たる馬車あり
ひたぶるに生きてきしもよ秋の田の一条の道を馬車光りゆく
大野誠夫