天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

呪われた従軍歌集(1/10)

 手元に、古びて赤茶けた一冊の本がある。各ページには、ところどころに濡れたようなにじみが見える。表紙には、小さな赤字で従軍歌集、大きな黒字で山西前線、そのルビに赤字で「さんしいぜんせん」と書かれ、鐡兜の兵士が腹這って、眼光鋭く銃を構えた絵が描かれている。著者は、小泉苳三。見開きの写真には、木刀を左手についた直立不動の著者、防寒服の上のベルトには拳銃のホルダーが見える。次の写真からは、訪れた戦線での情景が十ページばかり続く。序文は、立命館總長・中川小十郎と支那派遣軍總参謀長・板垣征四郎の二人が書いている。本文のところどころに挿絵があるが、途中同行した加納辰夫という従軍畫家の筆になるもの。

 発行されたのは、昭和十五年五月一日。手元の本には、帯はついていないが、発行時には、斎藤茂吉北原白秋、窪田空穂らが賛辞を寄せた。この歌集は当時、大変な脚光をあびたという。しかし敗戦後の時局・政治情勢により、戦後は歌壇からも見捨てられてしまった。皇軍を讃美し聖戦としたり、A級戦犯として絞首刑になった板垣征四郎の序文を載せたことが、評価を落しめ呪われた歌集にしたと思われる。本稿では、冷静に見直して、その歴史的意義を検討してみたい。

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小泉苳三