天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

呪われた従軍歌集(7/10)

 戦地での待遇もそれなりに行届いていた。駐屯地では、佐官や尉官が対応してくれた。

  弾の来る左側面に馬ならべかばひてくれし兵に別るる [張店鎭にて]

南京では、

  草枯の斜面に散れる白骨を踏みつつのぼる心がなしく

結句の措辞が家持調である。黄河においては、

  最後まで壕に據りしは河南省學生義勇軍の一隊なりき

  白骨壘壘として堆(うづだか)き地隙(ちげき)をひたす黄河の水は

彭澤では従軍慰安婦らしい一団を見かけた。

  大陸の國内(くぬち)航(ゆ)きつつ女子(をみなご)の唱(とな)ふる萬歳は

  あなかなしもよ 

  九江に上陸(あが)りて一線に行くといふ女子(をみなご)たちはまだうら若し

野戦病院においては、苳三自身が罹った壊疽性口狭症(えそせいこうけふしやう)の手術を受け治癒した過程が詠まれ、軍医のめざましい働きが示される。

  コレラ病患者一人も死なしめず救ひたりしは大串軍醫         

戦闘場面として、娘子軍(五首)から。

  晝の日に照らされてある肉體は乳房の張れる線ふくよかに

  はるかなる水に浮びし娘子軍(ぢやうしぐん)をあはれと思へねらひ射(う)ちたり

死と隣り合わせの性欲が垣間見える。自らが殺戮に参加している詠み方になっているが、苳三の場合は、歌の前書や大学教授であることが歌集から分かっているので、将兵の情報から作った歌と容易に理解できる。ちなみに、渡辺直己の場合は、アララギへの発表時から前書もないので、自身の行動だと読者は思ってしまう。映画や情報から作った歌がかなりあることが後に指摘された。

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南京