天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

呪われた従軍歌集(8/10)

 従軍歌集を読んでいて連想するのは、平家物語太平記のような七五調で語られた軍記物の場面である。例えば、『山西前線』聞喜城は、敵の大軍に包囲され、籠城八十日間、少数の部隊で奮戦死守した様子を歌った一連であるが、これには太平記新田義貞の進撃」や「金崎城の陥落」を想う。また黄河河畔の一連には、平家物語「鵜川合戦の事」を対応させたくなる。

  山西奪回を目指し十九箇師の敵ひたひたと河を越えつ(聞喜城)

  三箇師の敵の新勢ひしひしと城を圍みて弾打ち來たる(聞喜城)

  糧食既に盡きたらむやむなくば軍馬を食へと指令來たれり

                          (聞喜城)

  明け行く月に敵の陣を見給へば、北は切通しまで山高く、

  路嶮しきに、木戸を誘(かま)へ、垣楯(かいだて)を掻(か)いて、

  数万(すまん)の兵(つはもの)陣を双(なら)べて並(な)み居たり。

                       (新田義貞の進撃)

  寮の御馬を始めとして、諸大将の立てられたる秘蔵の名馬ども

  を、毎日二疋(にひき)づつ刺し殺して、各々、是をぞ朝夕の食には当て

  たりける。                 (金崎城の陥落)

  野の上の大氣よどみてしんしんと青き火燃ゆる暗夜(やみよ)の空に

                          (黄河河畔)

  露吹き結ぶ秋風は、射(い)向(むけ)の袖をひるがへし、雲ゐを照す稲妻は、

  甲(かぶと)の星をかがやかす。         (鵜川合戦の事)

といった調子である。両者には、漢詩の伝統を踏まえて戦場を想って詠ったという共通点もある。

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黄河