天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

別れを詠む(2/10)

  いかでなほ人にもとはむ暁のあかぬわかれやなにに似たりと

                   後撰集・紀 貫之

  かくばかりわかれのやすき世の中に常とたのめる我ぞはかなき

                  後撰集・読人しらず

  年をへてあひみる人のわかれには惜しきものこそ命なりけれ

                   後撰集小野好古

小野好古は、平安時代中期の武将。小野篁の孫。藤原純友の乱では、追捕使としてこれを鎮定した。

 

  あひ見ても別るることのなかりせばかつがつ物は思はざらまし

                  後撰集・読人しらず

  夢にのみむかしの人をあひ見れば覚むるほどこそ別れなりけれ

                     金葉集・永縁

*永(えい)縁(えん)は、平安後期の法相宗の学僧。「えいえん」ともいう。歌をよく詠み『金葉和歌集』に13首収録されている。

 

  こぞの春ちりにし花も咲きにけりあはれ別れのかからましかば

                   詞花集・赤染衛門

赤染衛門は、平安中期の歌人。早くから歌人として名を知られ,息の長い作歌活動を展開。和泉式部清少納言紫式部伊勢大輔らと交流をもった。一首の意味は、

「去年の春散ってしまった花も咲いたんだなあ。ああ、人との別れもこのようであったならばなあ。」

 

  思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞふく

                   詞花集・源 道済

*詞書に「長恨歌のこころをよめる」とある。一首の意味は、「恋しさに耐えきれず、あの時死に別れた野辺に来て、その場所を見ると、浅茅が生い茂った野原に秋風が吹いているばかり。」

 浅茅が原は、奈良市奈良公園西部の春日神社一の鳥居あたりの丘陵をさす、らしい。

 

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浅茅が原