天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

出でよ世紀の西行(3/6)

 一方、三十代、四十代の塚本邦雄は、前衛の旗手として、従来の短歌では忌まれた破調・句跨りの新しい韻律に乗って、反戦と革命、現代文明批判、キリスト教など広範なテーマに挑み、先鋭な歌を次々に発表する。

  暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ

  突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼

  はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を賣りにくる

  塚本にとって、キリスト教は信仰の対象ではなく、徹底して歌のテーマであった。しかもシニカルなとりあげ方である。西行は、仏教によって人は救われると素直に信じていたようだが、塚本は、キリスト教が人類を救うなどとは毫も考えてはいまい。しかし、「聖書見ザルハ遺恨ノ事」と、現代歌人は聖書に通じていることが必須であると、主張する。源氏物語と並んで聖書は、文芸の古典と考えるからである。西洋文学では常識なのだが。人間の弱さの犠牲になる求道者イエスや殉教者に対する視線は温かい。

  掌の釘の孔もてみづからをイエスは支ふ 風の雁来

  漁夫はわが羸弱の胸おほふべく帆をおろす夕べ夕べのピエタ

 ここまでで引用した両者の歌を見比べても、素材の質・量に歴然たる差異がある。

諸国を漂泊した西行は、当時としても相当豊富な見聞と体験を持っていたが、その時代固有のリアリテイは彼の歌に、全くといってよいほど現れていない。万葉歌人と違い、王朝人としての西行は、花鳥風月に添って心を詠うことが、歌の本道と信じて疑わなかった。その心とて、憎しみ、恨みつらみといった醜い部分ではなく、せいぜいが厭世気分であり、主調は、恋、なつかしさ、寂しさ、あわれさであった。もしかしたらこの現象は、漂泊詩人に共通する、という仮説が成り立つかもしれない。現代人の山頭火や山崎放代を例にとっても当てはまる。

 塚本短歌の背景にある該博な識は、古今東西の文献の渉猟とラジオ、テレビ、映画、レコードなどのマスメディアに依っている。後年になってから毎年ヨーロッパを旅行するが、若き日の塚本は旅を嫌ったという。知識で得た美しいイメージが現実に汚されるからという理由らしい。四十代でも塚本は、サンボリズムの代表作となる名吟を得ている。

  雉食へばましてしのばゆ再た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ

  馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人戀はば人あやむるこころ

 

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旅の西行 (WEBから)