温故知新(2/9)
先ずは斎藤茂吉から継承した技から見てゆこう。第一は、ユーモア。茂吉の例は大変多い。謹厳実直な姿を想うと効果が倍増する。
大きなる都会(とくわい)のなかにたどりつきわれ平凡(へいぼん)に
盗難(たうなん)にあふ 『つゆじも』
上句の念入りなもの言いと下句の「平凡に」が笑いを誘う。
山のべにくれなゐ深き白頭翁(おきなぐさ)ほほけしものは毛になりにけり
『たかはら』
雅から俗への転換。下句が箴言風で面白い。
小池の歌については、『草の庭』からだけでも、以下のような愉快な例を容易に挙げることが可能である。
法国梧桐(プラタナス)の木の実をひろふことをして南苑機場にひとときを待つ
[動詞+こと]で名詞句とし、それに「をして」と続ければ、やけに念のいった言い方となり、ユーモアが滲んでくる。
岩稜にかすかに生(は)える青草を略奪すればひとたび芳(かを)る
下句のおおげさな物言いに笑ってしまう。
数十羽しづかにゐたる鴉らはむろん雑談をすることもなし
副詞「むろん」と擬人法が効いている。
第二は、助詞「は」の用法。茂吉の歌から。
めん鷄ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり
『赤光』A
ゆたかなる河のうへより見て過ぎむ岸の青野(あをの)は牛群れにけり
『遠遊』B
Aの「は」は、主語と述語とを直接につなぐ。Bの「は」は、間接的な働きであり、「青野では、牛が群れにけり」を表現している。
小池は、Bの歌の味わいを強調した。
扉(と)のひらきカラオケはこゑあふれたり道のほとりのスナックあはれ
『草の庭』
校庭にひよろりと伸びてあるがままニセアカシアはとまる鳥もゐず
『滴滴集』