温故知新(5/9)
第二の技法は、表記。複雑な漢字やその組み合わせ、当て字により読者に考えさせ納得させることが可能である。逆に、漢字で書くと一見して意が通じ、簡単に読み過ぎるところを、わざわざ仮名文字で表記すると、やはり立ち止まらせる効果がでる。塚本の歌から。
刹那の人生と言へれば水無月に流連(ゐつづけ)といふふりがなあはれ
『黄金律』
『献身』
小池も頻繁にこの方法を使うが、次に二例を。
石渓心月あり椿庭海壽あり霊源彗桃ありすべて室町の高僧
『滴滴集』
かいらんばんことりと落ちし音きこゆ かたみに知らぬ誰か入れたり
『静物』
第三の技法は、雅から俗への展開。これは、先に触れたように斎藤茂吉から始まっている。本歌取やパロディ化にも通じる。
春の夜の午前三時に眼をあきてわれの身体(からだ)の和(なご)むことあり
斎藤茂吉『寒雲』
春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状
塚本邦雄『波瀾』
春の夜のすさびに来たるキッチンにわれ塩を舐む即興的に
小池光『草の庭』
いずれも初句で優雅に詠いだしておきながら、二句以下で俗な話題に転じて、驚きや笑いを誘う。これらの本歌は、言わずと知れた
春の夜の夢のうきはしとだえして嶺に別るるよこぐものそら
塚本は、周知のように句跨り・語割れ、七七五七七、頭韻、脚韻など多彩な試みをした。
何に殉ぜむジュネ、ネロ、ロルカ、カリギュラと秋風潜る耳より鼻へ
『青き菊の主題』
こちらへいらつしやいシャイロック陸(ろく)でなし梨の花チルチル・ミチル道
『泪羅變』
これらは尻取り歌であり、ダジャレになっている。この系統の小池の例を二首あげる。
猫籠を日なたにおけばひなた猫うらの日かげのひかげ猫けふ
『滴滴集』
おもふつぼのつぼに入りつつ咳すれば咳のこだまの壷中居(こちゆうきよ)の人
『時のめぐりに』