温故知新(6/9)
小池が塚本から引き継いだ考え方に、「不在の在」がある。写真家・中野正貴は「人のいない風景」というテーマで、銀座や渋谷の繁華街の無人の時を撮影して、見る者に逆に人間の存在を強く感じさせている。
短歌では、事象が「ない」と詠うあるいは「思わない」と詠うことによって、逆に読者にその事象の存在を感じさせる、作者の本心を窺わせるという手法である。古くは藤原定家が用いた。
駒とめて袖打払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮
『新古今和歌集』
「駒とめて袖打払ふ」と詠まれた時点で、読者はそれらの情景をイメージしてしまう。つぎにそれらが無い情景を想像する。「ない」と言いながら、その実、読者には存在を感じさせてしまうのである。
塚本の「不在」へのアプローチは、独特であって、有名人物についてその人の忌日を詠みこんだ。難解になる歌が多いが、
群青の沖へたましひ奔りをりさすが淡雪ふる実朝忌
『豹変』
という例は、渡航願望を果たせず雪の日に暗殺された歌人将軍を容易に想像させる。
小池の場合は、次の歌に見るように喪失感が指摘される。在りし日の鉄道駅を想う。
廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり
『廃駅』