温故知新(9/9)
次に、いくつかの局面で小池の特徴がよく現れている歌をみていこう。先ずは、ユーモアに批評が加わるウィットの例。
「子供より親が大事、と思ひたい」さう、子機よりも親機が大事
『時のめぐりに』
更に旺盛な批評精神の現れている歌として、
一片の岩片をひそと土に埋め旧石器日本を立ち上げにけり
『滴滴集』
自己客観視も批評精神の現れである。
笹の間のちひさな石に腰かけて いつしか来(きた)るわれそこにゐる
『静物』
固有名詞については、小池光が専門にした物理・数学を含む科学分野の歌に、特徴が現れる。次の歌は数式が無理なく納まって秀逸。
簡潔にS=klogW と刻むのみルードヴィッヒ・ボルツマンの墓
『静物』
さらに哲学、特に論理学にも関心を寄せた。
娯楽としてよむヘーゲルのあればとて尻のポッケの『小論理学』
『滴滴集』
歌集『草の庭』に、ウィットゲンシュタインと題する一連二十一首があり、言語機能と事実の関係について詠んでいる。以下のような例は、読者が納得して感心することに賭けている。知の詩情の究極の実験であった。
要素命題の真理可能性はとりもなほさず事態の真理可能性なるべしやいな
事実真実を論理的に詠うことで、不思議さやユーモアが出せる方法も小池は心得ていた。
存在と時間をめぐり思ふとき泥田の底の蓮根のあな
『日々の思い出』
芝桜をカラス飛び立てり ややありて二本の黒い足も飛び立つ
『滴滴集』
人名や地名の詠み込みも興味あるテーマだが、紙幅の都合で割愛した。また例歌を限定したが、ここで取り上げた三人の全歌集を見れば、紹介した手法の例に数多く出会える。