松村威歌集『影の思考』
型破りな歌集である。略歴には、「1945年生まれ、短歌暦10年」としか書かれていない。ただ「あとがき」に、何故短歌を書くか、という解説があるので参考になる。作品を読んでいくと、作者の分身が考え感じたことを短歌に表現したように思われてくる。それが『影の思考』という歌集名になったのではないか。
全部で343首あるが重厚な作品が多く、難解な作品もある。ユーモアや家族の歌は少ない。
特に目立つレトリックとそれぞれの例歌を以下にあげておく。
■直喩(種類の豊富さ) 39首(11.4%)
鎮静剤うたれしごとく垂れているブランコに黒蝶とまりにきたり
消されたる言語のように山彦が山々のなかほそく消えゆく
なにかふと希望にも似た開放感ぴちぴち跳ねるシャンパンの酔い
やわらかな脳震盪めいた悦びがわれをつつめりあとを追いゆく
もう若くない痩身をさらしつつ女は笑いき憂鬱そうに
醜悪と罵り来たるこの生にしがみつくがにビタミン二錠
■一字空け(前後の飛躍の距離) 15首 (4.4%)
犬猫もヒトも姿はそのままに命は尽きる 時間が消える
睡蓮はあやうきまでに真白なり 黄ばみていたる二十歳の写真
とおくきて詩は復讐と見つけたり ナイフのおもてにしずもる桜
わが座標 見当違いを皆言うをなにも言わずにニヤニヤ笑う
■オノマトペ(ひらがなもカタカナも)
屋上の赤き鳥居はものがなし姑息な願いをハタハタ揺らし
なにかふと希望にも似た開放感ぴちぴち跳ねるシャンパンの酔い
チーンした冷凍ピラフを食いおればキョッキョッキョッキョと時鳥鳴く
ハンミョウは死んだ女だたましいだだらだらのぼる墓場への道
■リフレイン(名詞や動詞の重複使用) 26首以上(7.6%以上)
咲きおえてニセアカシアはニセのままおのが緑の影をつくりぬ
「イプセンの「ノラ」じゃなくって野良猫のノラよあたしは」少女は言いて
このわれを奇人とおもい詩人ともおもい人間を逃れ近づく
海が海が見えないすなはまにむかしむかしの麦わら帽子
朝がくる朝がくるなり鉦叩きその声やめばわれは眠らん
■固有名詞(日本人名が少ない)
孤独者の足音さらに高くなりやがてラヴェルは遠ざかりたり
フォスベリー式背面跳びは美しく進化にあらず詩人の発想
いにしえの石津謙介のジャケットにベルモンド主演の半券ふたつ
炎天にアイスクリームは溶けはじむサルバドール・ダリの時計の態に
デフォルメの狐のまなこをのぞき見る フロイトよここに首を垂れよ
■外国語・カタカナ語(グローバルな文化を反映) 74首以上(21.6%以上)
デラシネは何であるかとたらちねはわが行く末を憂い問いたり
ジャブを出し男はゆけり電柱のポスター見れば「愛は地球を救う」
地獄とも神の国とも思うなくマリンスノーが寂かに堕ちる
ブルーベリーの小枝に冬の日差し照り女学院からミサの鐘の音
プラスチックの金魚数匹のこされしバスタブのなかわれは眼つむる
フィヨルドの氷のような切っ先のフォークにのせる淡きくれない
スパンコールの羽をふるわせハンミョウは昼闇に消ゆ白き卒塔婆
終りに特に印象に残った歌を二首だけ、次にあげておく。
死してなお人恋うことも物悲し墓石に刻む「友情」の文字
水平線あわれむやみに横に伸び存在はただひとすじの線