昆虫を詠むー虫(1/9)
「むし」の語源は、「むす(生)」の連用形名詞。土中、水中から自然に生まれてくるのが、「むし」と考えた。(西垣幸夫著『語源辞典』文芸社 による。)
広く昆虫類をさすが、古典和歌や俳句では、秋に鳴くコオロギ科(コオロギ、スズムシ、マツムシ、カンタンなど)とキリギリス科(キリギリス、ウマオイ、クツワムシなど)の虫をさすことが多い。平安時代には虫は秋の歌題であった。
このシリーズでは、単に虫と詠まれた作品を取り上げる。
この世にし楽しくあらば来む生(よ)には虫に鳥にもわれはなりなむ
*「今生きているこの世さえ楽しく暮らせたなら、来世には虫にだって鳥にだって
私はなってもかまわない。」
秋の夜は露こそことにさむからし草むらごとに虫のわぶれば
古今集・読人しらず
*「秋の夜は、とりわけ夜露が寒いのでしょう。草むらごとに虫の寂しそうな声が
聞こえるので。」
秋の夜の明くるも知らず鳴く虫はわがごと物や悲しかるらむ
*「秋の夜が明けるのも知らずに鳴く虫は、自分と同じように物悲しいのだろう。」
秋くれば野もせに虫のおり乱る声のあやをば誰かきるらむ
後撰集・藤原元善
*「秋が来れば野原いっぱいに織り乱れる虫の声の繚乱の衣をいったい誰が着る
のだろう。」
これを見よ人もすさめぬ恋すとて音をなく虫のなれる姿を
後撰集・源 重光
*「これをごらんなさい。だれも顧みないような恋をして声をあげてなくわたしの
なれの果ての姿を。」
野べに鳴く虫もやものはかなしきと答へましかば問ひて聞かまし
秋の野をわくらむ虫も我ごとやしげきさはりに音(ね)をばなくらん
大和物語・坂上遠道
*大和物語には、陽成院で働いていた坂上遠道といふ男が、おなじ院で働いていた女が「さしつかえることがある」と言って、会わなかったので、作って贈った歌、とある。
歌の意味は、
「秋の野の草葉をかき分けて動き回るような虫も、あなたが繁雑さに追われて会ってくれないのを、私が声をあげて泣くように、生い茂る草のわずらわしさに声をあげて鳴くのだろうか。」
[注意]スポーツ・シリーズは、フアイルの都合により、いったん中断します。