歌集『サーベルと燕』について(4/4)
[巧みな修辞]
あたたかき冬の日にして手つなぎあひ保育園児のおさんぽが行く
永平寺の修行僧といふ人生もありしか遠(をち)の遠(をち)の山辺に
松葉牡丹の花をうたひて色彩のとびちる如し斎藤茂吉
裕次郎「北の旅人」そのこゑはワイングラスのこころに沁みぬ
[その他]枕詞、掛詞、あはれ、副詞の用法 など。「あはれ」は茂吉も多用した。
中央区といふは東京駅のひがしより春のうららの隅田川までをいふ
昨晩のねむり足りずに呆(ぼう)とゐてからだに詰め込む朝の飯あはれ
一篇のエッセイのため水郡線に乗りにゆきたることもあはれや
右の足痛めば歩行におのづからひだりの足が庇ふあはれさ
氷結の川ひとたびも見しことなし七十年をたちまち生きて
眼前に落ちて来たれる赤松の松ぼつくりをたちまち蹴りぬ
スーパー銭湯「極楽湯」出でてやをらわれ牛乳一本飲み干しにけり
*おわりに
塚本邦雄や岡井隆を先陣とする前衛短歌に染まることなく、斎藤茂吉を代表とする近現代短歌を推し進めた画期的な歌集と評価したい。歌集の全体をまず把握するために、「あとがき」から読み始めることをお勧めする。作品の理解が容易になり、歌集を読み終わったときの感動が一層大きくなると思われる。