天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成七年「聖夜」

  夕暮れて人皆帰る仕事場にひとり書を読む聖夜なりけり

  年一回相模湖にくる一団は湖底に沈む村の人々

  四条流包丁の技伝へ来し包丁塚に蝉時雨降る

  月山の修験終りて降りくれば町の匂ひに涙流るる

  サルバドール貧しき子等の朗らかに空缶たたくサンバのリズム

 

       新日本探訪「朱鷺」   四首

  野に座る老人の手の小魚をもらひてうれし朱鷺のをさな子

  名を呼べば応ふる朱鷺の声かなし保護センターの金網の檻

  老いてなほ羽の薄桃ほの見ゆる滅びゆく鳥ニッポニア・ニッポン

  億年の朱鷺の歴史を断ち切りし今日も地上に農薬を撒く

 

  吾妻橋ふるさとの夜の恋しきに光の帯の流るるを見つ

  町営のテレビ放映ふるさとのあの山あの人話がはずむ

  子を中に並びて歩く原人の足跡ありきサバンナの谷

  雪降りて見分けがたくも梅の花匂ひ顕ちたる曽我の梅林

  マンモスの天を仰ぎて息絶ゆる姿そのまま凍土に残る

  沈みゆく陽に照らされしサバンナのアファール猿人ルーシーの骨

  啄木鳥はうらやましきかな木の洞の木霊と共に一生を暮らす

  緑なす地球にせむと説く人の眼鏡に映る砂丘の夕陽

  厳寒の宇宙に浮かぶ望遠鏡この世の果ての光を探す

  オアシスに憩ふらくだの今はなく車行き交ふイスラマバード

  ホッホーと森に呼びかくる老人の声に野飼ひの馬の駈けくる

  窓たたく風のひと日をカンバスに向ひて描きし自画像若き

  アナウンス「ラ・コステベルデのみなさん」の中に飾れる妻もありけり

  髭凍るアイヌの男祈りつつ氷の笛を阿寒湖に吹く

  海草は黒髪のごと漂ひてラッコは腹に貝をうち割る

  ピグミーの森の精霊木を登る目玉回せば子等のよろこぶ

  生きしまま腹食ひ裂かるるヌーの目はセレンゲティの夕陽を映す

  縫ひこめし手のぬくもりを着る刺し子霜置く畑に鍬うち下ろす

  焼きすぎし目刺の炭を払ひゐる日曜夜の老夫婦かな

  人をほむることのまれなる性なればパントマイムの声なき笑ひ

  人の世のうとましきかな春の野にひとり遊びてペルソナを脱ぐ

  葉の落ちし欅老樹を見上ぐれば軽飛行機の音たてて過ぐ

  過疎の地に生きし祖父母の忍耐の顔思ひ出づ五十路過ぐれば

  五十路なる小春日の道たゆたひて勝運祈願の旗見つつゆく

  老ひぬれば柔軟体操はじめむか妻は心をやはらぐべしと

  太古より移動の形まもりゐる草そよぐ原のヌーの大群

  目つむれど後の座席の乙女等の含み笑ひの悩ましきかな

  花の架に死者を葬りし洞窟はネアンデルタール人のやさしさ

  屑鉄を商ふ国境ふる里の子等に土産のアメリカの靴

  戦闘に拉致せられたる妻娘寂しみて吹く葦笛悲し

  銃眼の土塀の民家静もりて人影なくも視線さしくる

  黒雲を巻きて逆しま円錐の竜巻に飛ぶサバンナの木々

  冬枯れの畑耕すトラクター畦に焚く火の風に燃え立つ

  四十雀水面に映す己が影恋ひて鳴きつつホバリングする

  水面の光いつしか消え失せて川瀬の音の残る夕闇

  五線紙を夜空にあつれば白鳥座宇宙の果てを恋ひ渡る声

  夢の中叫びし声に目覚むれば手より落ちたる『鳥葬の国』」

  大樟の長寿の息吹き慕ひつつ注連張る幹に顔寄せてゐつ

  夜の川光あつれば数千の細身のナイフわかさぎのぼる

  アボリジニの村を巡れる物売りの荷台に揺るるコカコーラかな

  もてなして猪の舞、鶴の舞民話を語るインディオの村

  大木にまつはり垂るる南国の翡翠葛はスコールを恋ふ

  森深く水青む川若鮎は翡翠につきし苔を食みゐる

  哀しきは三千五百年を経しファラオの胸の枯れし花束

  目鼻立ち溶くるがごとく古りたまふ細き御姿百済観音

  日曜日海驢(あしか)の芸のはじまるか口上聞こゆ江ノ島の浜

  右目病む白銀の鯉蹌踉と濁れる川に死にゆくらしも

  恐龍の遊ぶ草原描きたる塀をめぐらし人の住みゐる

  老いてなほ丈夫なる歯と誉められし歯をくひしばり生きてきしゆゑ

  漣の沼に浮寝の鴨の群岸辺の鷺は風に吹かるる

  白蝶の群れて眠ると思ひきや暁露の庭の白れん

  がうがうと赤き火を噴くロケットの昇りゆく空立春の朝

  それぞれの焼却の炉の隠亡は礼儀正しく棺を迎ふ

  王墓より出でし黄金のトランペット古代の音の高らかに鳴る

  喧噪を逃れて来しをみちのくは花咲きみちて人の恋しき

  アマゾンの虫ブローカー見せくれしアグリアス蝶二十万円

  大き樹のあれば膚へに触れてみる太古の森の息吹吸ひたく

  アンデス山を貫く敷石のインカロードは湖底に続く

  神殿を守りしピューマ石像の目鼻欠けしが湖底に座る

  くつくつと嬌声洩るる暗闇のプラネタリゥム銀河傾く

  砂浜をめざす数万頭の亀息する首の波間に光る

  闘ひは二重螺旋の遺伝子の命ずるままの連鎖なるらむ

  訓練の終りて去りし戦闘機相模の浜に波音もどる

  闘ひのなき世となるか遺伝子の組み換へ操作の技極むれば

  松の肌鱗のごとく立ちたるは天にのぼりし龍の脱殻

  今夜こそ深き眠りの得らるるか洗ひざらしの下着とパジャマ

  呼び出しを待ちて座れる老人のたばこの煙憎まれてゐつ

  房総の花野に遊ぶ紋白蝶その祖は生れしモンゴルの野に

  緑なす死海渓谷原人の進化始まる骨も石器も

  旅姿髭(ひげ)の男の撥(ばち)激し津軽じょんがら地にたちのぼる

  妻とゆきし高原の村鬼灯の赤き実透きて山高かりき

  緑なす渓谷続く地溝帯原人の群はアフリカを出づ

  大砲の音聞えしやニューギニア台地に住まふ石器持つ人

  敗走の跡とし残る輸送船南の島の入江に朽ちて

  成年の儀式は母を踏みこえて「男の家」の暗き入口

  顔に泥塗りて児の死を悲しめるイリアンジャヤのダニ族の村

  高波を待つ海原のサーファーは海豹のごと黒き胸出す

  大学のある日の子等の写真見せ妻は寂しむ過ぎし青春

 

       進化せし   六首

  サバンナの空渡りくる黒雲は群生相とふバッタの大群

  草原のエミューの足の鋭きに思ひはるけきティラノザウルス

  メキシコの森に群れ舞ふまだて蝶三千キロの旅立ちの朝

  香りくる空見上ぐれば揚羽蝶ニセアカシアの花粉を散らす

  遠浅の浅蜊を襲ふつめた貝歯舌(しぜつ)かぶせて穴を開けゐる

  西日射す魚屋店先ぴゅうぴゅうと皿の浅蜊は水とばしゐつ

 

  帰還せし女性飛行士語りけり日出づる国の朝日見たりと

  身を離るる魂乗するグライダー死者の世界に闇を飛び立つ

  冬去りて北ボヘミヤの乙女等の瞳輝くガラス工房

  狩りの自慢をしてはならじと森の神をうやまひて住むツンドラの人

  トナカイは凍土を掻きて苔を食む人に寄りきて塩をほしがる

  寝ころびて背(せな)を氷にこすりゐる馬を遊ばす凍結の川

  客人のあればもてなす大鹿の肝臓の肉トナカイの乳

  氷河期の終りより住む下北の猿は桜の花芽を好む

  海荒るる日は茫々と沖を見るするめ烏賊干す浜に座りて

  波を切る黒き背鰭の迫りきてオタリアの仔はシャチに食はるる

  フィヨルドの入江に集ふシャチ家族鰊の群を尾鰭にたたく

  ひそやかに水面揺らせしかはうそは海に潜りて魚をくはへ来

  藻の揺るる海に潜れるかはうその体に銀の気泡湧き立つ

  魚食ひて腹満ちたりしかはうそは岸の海草ベッドに眠る

  海鳥の白きが一羽飛ぶ下に鯨一頭潮噴き上ぐる

  氷雨降る港に船のしづもりて白夜の続く夏は来にけり

  鱈漁を終へて海面に撒く雑魚を待ちて集へり白かつを鳥

  抜けし歯は妖精にあぐるとはにかみしアイルランドの島の少年

  蝉の声遠くに聞きて縁側に新聞読めば風ここちよく

  じりじりと蝉の声降る鎌倉の武士(もののふ)の道汗拭くわれは

  掌(てのひら)に握る根付の味はひは鐘にまきつく蛇の清姫

  木星にSL9衝突すふと青ざめし有明の月

  尋ねきし川の源苔むして掬ひし水に山匂ひけり

  冷水のインクブルーの池に棲むオショロコマとふ魚の眼差し

  草原に上昇気流のわき立てば糸噴き出して蜘蛛の飛びゆく

  サバンナの大き夕陽を横切りてうつ向き歩むヌーの大群

  サバンナの夕焼け空に立ち並ぶ寂しき首をキリンといへり

  出稼ぎの砂漠の国に倒れたる男の持ちし家族の写真

  うづくまる少女のうしろ禿鷲の暗き視線は陽炎を透く

  罌粟を刈る兵士の背(せな)のライフルの黒光りせりラオス国境

  北の地に見捨てられたる農耕馬人影見ればいななきて寄る

  かなかなの声のかなしき鎌倉の山の葉裏に秋の風立つ

  砂浜に棲むシロチドリ白砂に卵ひとつを抱きて鳴きけり

  金色の毛は夕闇にまぎれつつ枯木林をとぶ金絲猴

  ゆく末の大樹を願ふ剪定の枝葉の痛みわがこととせむ

  見なれたる景色窓外に流るれば岩波文庫斎藤茂吉

  原子炉の取水口近き海域に水母を除くる網はられたり

  覚悟して真裸になり青白きつなぎに着換へ原子炉に入る

  戦争になれば標的原子炉の容器は地中深く沈めむ

  原子炉の放水口の河口にはおほき海魚が貝はみてゐし

  本数の少なき電車待つ駅の売店に買ひし鯖の藁包(わらづと)

  雛鳥をおきて親鳥旅立ちぬコロニー暗く海に虹立つ

  茶を注ぎ「奥さんいるの」と聞いている普請現場の秋昼餉時

  敗戦忌陽の照りつくる山上に鎧つけたる頼朝の像

  さまよひて赤痢にかかる孤児あはれ消毒液の中にうち伏す

  庭に生ふるおしろい花の香をかげば盆を迎ふる故里思ほゆ

  原子炉の定期検査を見回りて湾を望めば陽は海に入る

  神殿の柱を抱くいけにへの女埋もるるアンデスの丘

  肩にあつるストラディバリウス弾く弓の指の真白き摩天楼の部屋

  薔薇園の花朽ちそむる昼下がり園丁ひとり薔薇の首剪る

  グロッタの悦楽の園の妖精は散りし椿の道に舞ひ出づ

  地の底に鈍き音せりゆさゆさと午前三時の書斎揺れたり

  東海に船を送りし始皇帝不老長寿の薬を待てり

  欲望の穴より出でて輝けり英国王の「アフリカの星」

  突兀のカッパドキアに何を見しマリア・カラスは紅に立つ

  神々の峯近ければ岩場より頭髪白き猿の現はる

  カンバスにおのれ描き込む髭のダリ乳房隠さぬガラの瞳に

  鶏頭のロールシャッハは閃光に黒く爛れし広島の町

  アンデスの日曜の市インディオの男も女も山高帽子

  アンデスの聖なる山の巡礼は氷河の水に皆沐浴す

  夕暮れて聖なる山の谷間に巡礼キャンプの灯はともりけり

  トラックや家の玩具に夢を買ふ聖アンデスの山の祭に

  砂金採りガリンテイロの流す土砂アマゾン川は白く濁れり

  漕ぎゆけるカヌーの櫂の滴りてタンガニーカの湖の夕暮

  木の枝と木の葉になりて戦ぎゐるオオナナフシとカレハカマキリ

  尾を振りて青き海面をくぐりゆくカジキの雌に鈷迫りたり

  オランダの陽はかぎろひて金色のチーズのならぶゴーダの市場

  黄金のノサップ岬の日没に塑像となれり若者の群

  後ずさりして突進す麝香(じやかう)牛頭突き響かふ極北の島

  おほいなるボルガに沿へる林よりかすか聞こゆる郭公の声

  抑圧の冬去りにけり遠近(をちこち)の店に飾れるカフカの写真

  葡萄酒の匂ひかすかに洞の風カッパドキアに地下都市ありき

  シチリアの男の太き手の伸びてカジキに鈷をうつ地中海

 

       湘南   六首

  雨降りしきのふの空は秋晴れの山の斜面に白雲の湧く

  魚を食ふ浜の烏の振り向けば金色の目の底光りせり

  黄の群るる泡立草に風吹きて銀に震へし蜜蜂の羽

  鎌倉の古美術店の入口の箱に一羽の雉横たはりたり

  こほろぎのかそけき声のかなしさの七里ヶ浜に白波の寄る

  黒き影サーフボードに立上がり逆巻く波のトンネルを抜く

 

朱鷺