天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成八年「桃太郎」

 「おはやう」と「ばか」くり返すオウムゐる人語悲しき公園の朝

  にぎわいし夏の浜辺の海の家秋風吹きて跡形もなし

  桃太郎の歌口ずさむ子等住めりミクロネシアの珊瑚の島に

  日の丸の国旗を立てし家一軒黄菊白菊庭にかがやく

  文化の日枯れ残りたる向日葵のうつ向き並ぶ朝川の道

  蠛蠔のつきまとひくる堤道泡立ち草のまぶしかりけり

  足赤き鴨のつがひの居眠れる川中の岩水の越えゆく

  無人なる座席の窓の透きて見ゆ小田急電車が橋を渡れり

  一筋に玉蜀黍を焼く屋台垂れにこだはる人生もある

 

     メコン流域   五首

  木を折りて道筋示す深き森ムラブリといふ裸族棲みたり

  正月のダンス羞ぢらう山岳民少女の肌にシャネル匂へり

  短冊の棚田光りてなだれたり雲の果てなる雲南の山

  雨期くればメコンの川は湖に船となりたる家の漂ふ

  支那海の青きを犯すメコン川赤き濁りは潮に馴染まず

 

  頭に残る産毛はかなしペンギンの親子を隠すブリザードくる

  鵯の群海面すれすれ飛びゆくを隼襲ふ津軽海峡

  口中に稚魚を育むカワスズメ時にはナマズの子も混りたり

  羽根ペンを持ちしバッハの銅像を包む冷たき東独の霧

  カルチュアに木彫習う妻若し夜更けても彫る御仏の顔

  売らるるを知らずきらめく熱帯魚東京タワーの一階に棲む

  電線にとまれる鳩の三百羽餌くるる人の家を見てゐつ

  美容院出でてセダンに乗り移る晴れ着姿をマダム見送る

  老人の撒くパン屑に寄り来る鴨鯉烏川の水澄む

  出稼ぎの休日ひとり公園のベンチに眠る靴脱ぎそろへ

  落葉踏む足柄峠青深み空を駆けくる冬の足音

  足すくむ崖登りきて桜木の肌に触るればやさしかりけり

 

     海   六首

  海をゆく術を伝へし歌ありきミクロネシアに星を見上ぐる

  サルバドール奴隷つなぎし鉄の輪の錆びて残れる海岸通り

  もじやことふはまちの幼魚育みて流れ藻がゆく対馬海峡

  冬潮の高き飛沫もとどかざり陸の一部となりし廃船

  指先の魚信を待ちてたゆたへり玄界灘の鯛釣り小舟

  砂浜に居眠る千鳥人影のさせば目覚めて群れ走るなり

 

  流れ藻の中に人の手ゆらめきて寄りくる秋刀魚を鷲掴みせり

  温室の屋根を透きくる月明り薄くれなゐの睡蓮目覚む

  懐手龍馬の視線はるけきにタンカーがゆく桂浜沖

  闇深き宇宙空間観測所パラボラ白くあふ向きて咲く

  江ノ島の入江ゆるがす爆音のジェットスキーのいきどほろしも

  極上と墨に書かれし金の箱「菊正宗」とバスに揺られつ

  本を買ふよりも安しと極上の酒を買ひきて湯豆腐に酌む

  元日の神籤を結ぶ梅が枝にはやくれなゐの蕾出でたり

 

     去年今年   五首

  乗客を降ろしし汽車のほうとつく溜息重し終着の駅

  人と魚相近寄りて見つめ合ふ水族館の水槽の壁

  崖を這ふ木の根は岩の水を吸ふ岩砕かれて土に返るも

  散り果てて枯葉一枚残らざる梅の梢の薄きくれなゐ

  本を読む人なにほどか元旦に「古本小屋」は店を開けたり

 

  縄文期蜆を掘りしとふ湖に平成の世も蜆掘りゐる

  波に浮く薄羽蜻蛉かがよへるウィンドサーフィン海に漂ふ

  首たれてウツボカズラは枯れにけり虫の棲まざる温室の中

  送信機背負へる鶴を追跡の人工衛星地球を巡る

  渡り来しインドの沼に送信機背負へる鶴も水を飲みをり

 百五十億光年の果てを見る星の吹雪のマウナケア山

  下曽我の村のはづれの野仏の頬のふくらむ冬の夕焼

  をちこちに太鼓たたきてとんど焚く梅は蕾の下曽我の村

  つくばひて畑の草を取る翁ペットボトルの風車鳴る

  釣り上げしヒラマサ一本置きて去る五島の漁師無口なるかな

  銭を置く人なくも吹くフルートの「ゴンドラの唄」駅の回廊

  就職の哀愁列車とほざかる「遠慮スねえでどんどんさべれ!」

  雪国の最終電車はさびしかり真夜の雪野を灯して走る

 

     伊豆大島行   六首

  丸窓に海面の返す光射し人の眠れる二等船室

  波頭しらしら立つる冬潮や船のゆく手にかすむは利島

  船酔ひの大海原の地獄波血は凍りつつ冷汗垂るる

  稜線のやさしく見ゆる三原山十年前の噴火を思ふ

  雪もよひ踊り子宿の窓に見し波浮の港は寂しかりけり

  一時間余して返すレンタカーくさや焼酎買ひて船待つ

 

  流氷に覆はれし海はるかなり宗谷岬にサハリンを見る

  渡り来しヒシクイあまた列なりて筑波颪の田にそよぐごと

  干柿に氷柱垂れたり白川郷合掌造りの障子の明かり

  木々の芽のくれなゐけぶる山並みのくぼみに雪の消え残る見ゆ

  土牢跡の黒き格子戸鎮もれる谷戸のなだりに咲く水仙

  白梅の香りいかにと近寄りて蜂の羽音におどろかれぬる

  捨てられし物静かなり人の手のうつつの時と所離れて

  中国語に問はれしメニューの機内食和食の項をわが指させり

  朝六時十四階に目覚むればアドバルーン赤き窓外に揺る

  ぼんやりと南京東路を見下せり環亜百貨の珈琲ショップ

  大き地震来りてドアを開けなむと高きホテルの部屋をゆさぶる

  台北の空をこがして燃えしとふ再建中のホテルくれなゐ

  台湾の空は晴るれど明日よりはメインランドのミサイル演習

 

     楽聖伝   五首

  三十にして巨匠たりベートーベン貴族社会にもてはやさるる

  捧げたる「月光ソナタ」虚しかり心移りし伯爵令嬢

  恋多き楽聖なれど娶らざり身分へだたる貴族の婦人

  楽聖を慕ふ少年伴ひて野を散歩せり日暮ちかきを

  梅毒に冒されしとふ楽聖を厳かに書く弟子シントラーは

 

  寒ければ仮死して眠る昆虫の生き延びてきし不凍体液

  救急車サイレンの尾につれ啼ける飼ひ犬かなし雪の夕暮

  幼子の話しかくれば驢馬二頭聞き耳立つる路地エルサレム

  タイマーに目覚めしパソコン音立つるあかとき闇の書斎机に

  海星来ればスハ天敵と跳ね上がり水噴き出して逃ぐる帆立は

  角折れし鬼の大津絵寒念仏旅の終りの土産にと買ふ                                                      

  身のめぐり花の下には人集ふ生きながらふることの楽しさ

  中空に海の際あり雲垂るる弥生の海の広がれる沖

  見出せる康成旧居囲はれて人寄せ付けぬ静けさにあり

  清らかに白き触手を揺らめかせウチウラタコアシサンゴ棲みなす

  むらさきの花を飾りて妻泣きぬ子と喧嘩せし日の夕暮に

 

     腰越の状   六首

  こほろぎのいまだ啼かざる寺といふ腰越の状の草案残る

  拒絶され追はるる身とはなりにけり陸奥をゆくもののふ主従

  戦ひに足手まとひの女なり「去れ」とひと言空仰ぎ見る

  身籠もれる女はもとの白拍子捕らはれて舞ふ京のみやびを

  数百の矢を身に受くもなほ立てり主を守るもののふ一人

  背に受けし矢は抜きがたし馬の背にうつぶせ渡る衣川はや

 

  棘魚のムサシトミヨは湧水の元荒川にほそほそと棲む

  上流のダムの放水知らせむと赤き点滅夜半もまたたく

  日に向かひ目つむる雄のオットセイ動物園にもハーレムはあり

  大雄山開山僧の勧めしとふ植林の杉天を隠せり

  ぼつてりと咲く八重桜頬に触れそのくれなゐの冷たかりけり

  龍王峡耳を聾せる激つ瀬のむささび橋に妻と吾と立つ

  くれなゐの針のボールの花咲けりボリビア産のカリアンドラ

  まなうらをくれなゐに灼くベゴニアのいづくより来し炎の瞋(いか)り

  子供等の両手ひろげて抱きつきし大き樟の木囲みきれざり

 

     中禅寺湖晩春   五首

  頂に雪消え残る男体を右に左に見るいろは坂

  「五月なほふかきみ雪の男体」と詠める空穂の歌碑に触れゐつ

  温泉(ゆ)のほてりさまさむとして窓際に湖上に暮るる釣舟を見つ

  対岸の灯の消えゆきて闇深し湖やすらぎて夜を眠れる

  ベルギーもフランスも持つ領事館別荘今は無人なりけり

 

  戦あれば地に埋めしとふ十一面観音の御手なべて失せたり

  月面に立ちし宇宙飛行士のまなかひにあり青き地球は

  金箔の甍聳ゆる名護屋城明を望みて太閤住みき

  塵芥車「乙女の祈り」流しつつ花散り初めし町を巡れる

  縄文期村のめぐりは植林の栗、鬼胡桃、漆、接骨(にはとこ)木

  大木のドウと倒れし時を思ふ山のなだりに朽ちて苔蒸す

  朝焼けの沼に輝く受精卵北山椒魚の産みしサファイア

  山深み谷戸の横穴そのかみの人を葬りし墓穴といふ

  あの鱒のムニエルの味妻と吾の中禅寺湖の思ひ出なりき

  新月の夜を灯して魚を突く真水塩水混じる浜名湖

 

     少年と宗教   五首

  天主堂壁のレリーフ殉教の聖の中に子供もをりぬ

  ポポロ門を入る少年の使節ジパング布教のいしずゑとして

  天下人みな恐れたり宗教の死を恐れざる心支配を

  バテレンの布教の裏を暴きたる千千岩ミゲル孤独なりけり

  誰からも見放されたり真実を言へば裏切りミゲルの一生

 

  鉄柱を積みしトラック後ずさるハンドル切りて路地に消えたり

  落魄の白人の来し西サモア モームを読みてスコールを待つ

  手鏡を覗き口紅塗る女神獣鏡に卑弥呼が映る

  ボート漕ぐ古事記の海は静かなりさねさしさがむのをぬにもゆるひ

  陵(みささぎ)は古墳にならひまどかなりヤマトタケルの駈けし武蔵野

  とこしへに青き木立の陵の心安らぐ玉砂利の道

  老木は松喰虫に倒れたり歴史刻める松の切株

  水涸れの湖を思ひて朝なさな新聞隅の天気図を読む

  黒潮の寄る三つ石の波しぶき注連縄までは届かざりけり

  一枚の羽根立ちてゆくわたつみのウィンドサーフィン波の間に間に

  信仰に国力つくし滅びけりイラワジ河岸の王朝の跡

  壊苦性(えくしやう)は好もしきものの壊れゆく苦しみといふ  左遷失恋

  行苦性は生・老・病・死  ものすべて有為転変をまぬがれがたし

  雪積みし溶岩台地に生い出づるふふめば甘き花蕨かな

  争ひの起らばボノボほのぼのと陰摺り合はせ仲直りすも

  ボノボとふ類人猿はアフリカの蝶の飛び交ふ森を歩めり

  哀号と叫びて泣くはうらやまししくしくと泣くわが国の人は

  人見知りするも我が物顔に生くンゴロンゴの森のゴリラは

  かくかくと水飲むカンムリサケビドリ居眠るもゐて静かなる夏

  博物館埴輪の部屋のはなやぎて馬、犬、水鳥、踊る人々

  田の下に縄文遺跡あるといふ鍬に当るは土器か埴輪か

  森と共に生きて滅びし青森の縄文の顔遮光器土偶

  草や木の霊と遊びし青森の縄文人の子の足の跡

  眉薄き都の武将田村麻呂眉濃き蝦夷を滅ぼしにけり

  羽蟻のごとくウィンドサーフィンの増えし江ノ島秋風の立つ

  白鳥の伊豆沼に降る春の雪笹漬け漁に沼蝦を捕る

  砂浜に砂をまぶせる背の動くオカメワタクズガニといふ蟹

  まぶた無き魚はかなしも夜来れば赤き珊瑚をくはへて眠る

  更紗海老、乙姫蝦も伊勢海老も魚寝静まる夜を出歩く

  泥鰌捕る踏み網漁の川筋を探して今日も日の暮るるまで

 

     母の病状   六首

  自動ドア開きて入りし癌研のロビーは無人の夏の夕暮

  小説と三鬼の句集とどけたり癌病む母の憂さ晴らさむと

  わが訪へば饒舌になる母ゐます癌研究所北の病棟

  気丈なるゆゑに全てを告げられし医師のことなど母は語りき

  出張のかたはら見舞ふ癌研の母の個室に俳句の話

  聴診器持つ孫のこと句に詠みて入選せしを母は喜ぶ

 

  薬師寺の白鳳伽藍復興の余材の檜かぐはしきかな

  御仏の視線はるけし薬師寺の御堂に座りただに見上ぐる

  わらわらと夏の風くる金堂にたたす国宝薬師三尊

  舳倉島に今日見し鳥を記録せりヤマショウビンは赤き嘴

  たたみこも隔たる森の青垣の内にこもれる月読宮

  増長天の足下にゐる天邪鬼ふんと堪(こら)へて天を睨むも

  田に沿へる水の流れの速くして稲に虫鳴く巻向(まきむく)の里

  采女はもかくうるはしく櫛けづり電車の席に鏡見飽かぬ

  男女川(みなのがは)源となる滴りの窟(いはや)に祀る男神と女神

  先生のすまひはそこの文字消えし標識板の角を右手に

 

     天城路   五首

  霧深き天城峠を越えゆかむかの踊子と私の路

  美しき碑文なりけり旧(ふる)き道天城峠の「伊豆の踊子

  たたなはる天城の山の旧き道つづらに折れて谷深かりき

  谷深き風呂に見上げし真夜の月天城峠の空にかかれる

  天霧らひ空と分かたぬ海の色沖ゆく舟の水尾白き見ゆ

 

  子育ての針魚の雄や口中の子等を吐き出す湧水の川

  声明に和せば孤になり無にかへる山懐の音無の滝

  ひたすらに前を見つめて走り出づ思ひつめたるごとき飛行機

  乱気流の中を上下し飛行機は積乱雲をつきぬけゆきぬ

  真夜中のホテルに目覚め試みるわがパソコンのインターネット

  心許無くセットせし目覚ましや目覚めし後にラヂオ鳴り出づ  

  暁暗のホテルの部屋に点滅す電話の赤き伝言ランプ

  おほいなる白痴の僕はアメリカに入れ歯固定材を歯磨き粉とまちがふ

  たくましき男の棲める部屋ならむかたく閉ざせる窓の薄ら陽

  突堤を出でて大きく揺れにけり二本マストの青き帆船

  秋潮の立ちてとどろく岩鼻に乙女等濡れて泣き笑ひすも

  伊豆の海見つつしゆけば潮の香の濃くなる浜に啼くきりぎりす

  城ヶ島海鵜の去りし断崖に野分の前の荒潮の立つ

  馬の背の洞門に寄る荒波のむかうにかすむ房州の山

  壁なせる高き竹叢さわがせて嵐の前の潮風が吹く

  火を振りて四万十川に鮎を追ふ夏の名残の水あたたかき

  鶏を絞むるは難し川の辺に首を捻れど戻せば啼くも

  夕暮れてピアノ弾く音洩れきたる西富町のちちろ鳴く道

  道の辺にしゃがみて犬に言ひ聞かす痴漢予防の夜の暗がり

  釣り餌のさそひに耐へし魚たちの空気吸ふ音夜の川の面

  夏に見し丹沢山の鹿を思ふ冬立ちにける今日の時雨に

  木々のどち気を発しては話する「今私は切られてゐる」と

  髪の毛の硫黄臭きを言ひ合ひて乙女等立てり大湧谷に

  命ぜらるるままに動けばたよりなし出る釘となり打たれてみむか

  客のせて遊びし湖の小夜更けて岸辺に眠る白鳥ボート

  牛糞の下にもぐりて土を掘り糞をとり込む黄金虫はも

  真夜近き熟年夫婦の夕食はおのもおのもに雑誌読みつつ

  朝遅き呑屋の戸口閉ざされて仕入れの魚の箱置かれたり

  バス待てば湖に沈みし村のこと郷土資料館のテープは語る

 

メコン川