天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成九年「望遠鏡」

  望遠鏡に真白きドームの立てる見ゆ雪積む富士の山頂の端

  髪の毛の硫黄臭きを言ひ合ひて乙女ら立てり大湧谷に

  悲しもよコバルトブルーの湖の底神楽を舞ひし村の沈める

  釣り餌のさそひに耐へし魚たちの空気吸ふ音夜の川の面

 

     北京好日   十四首

  焼藷を並べて売れるドラム缶北京大街に木枯が吹く

  石畳吹く木枯に襟立てて見つめてをりし故宮玉座

  磨り減りし故宮の庭の甃百官並びて額づきし跡

  国軍の若き兵士の見回れる八達嶺の万里の長城

  内蒙古の塩湖ゆ出でし白亜紀の恐龍の爪ひとり見てゐし

  朝くれば黒き駝鳥のたのしみか檻掃く人につきて歩くも

  モスクワとふ天井高きレストラン赤き服着し服務員ゐる

  長城の起伏はげしき八達嶺演歌流れて冬日の淡し

  朝なさな長剣持ちて舞ふ人を木立に見るも北京なりけり

  木枯にモノロフォザウルス叫び立つ中国古動物館の裏庭

  胡の歌と思へばかなし水鳥の池に聞こゆる中国演歌

  名を彫るはサービスといふ印を買ふ妻には丸き吾には四角き

  土産には石の印鑑買ひにけり妻には丸き吾には四角き

  羊肉のしゃぶしゃぶ食ひて白酒呑む木枯すさぶ北京の休日

 

  水槽のガラスに指を触れにつつ老婆の愛づる熱帯の魚

  花虻の低き羽音に開きけり忍冬の花交配を待つ

  ふる里の三面川をのぼる鮭居操りの網にかかりてもがく

  少女等の不思議は歌に応援に声すぐ揃ひ華やげること

  むくむくの白き子犬をあゆましむ毛皮のコートの老貴婦人は

  東雲の空うすうすと明るみて初日子生るる海の暗闇

  初日子の光一筋海をきて我にとどきぬうれしかりけり

  厚木より横須賀に飛ぶ戦闘機正月二日の空に音曳く

  栄螺とる小舟に寄する白波の光まぶしき初春の海

  久方の光の浜に購ひし鰺の干物と烏賊の塩辛

  子供等の植ゑしと小さく書かれたり車道にそひて三色菫

 

     歳晩   五首

  行年(ゆくとし)の墓の草取る媼かな嫁のことどもひとりごちたる

  丈高き竹ふれ合ひて鳴りにけり冬日うつろふ弓張の滝

  弥次郎兵衛、独楽などつくる団栗を拾ひて我は山里にゐる

  沿道のピンクの幟役者絵にめ組とあるも大晦日かな

  傾きて道をふさぎし大木を斧に倒して山に死なしむ

 

  デジタルの生物が棲むたまごつち女子高生等が育みをりぬ

  デジタルの生物が棲む「たまごつち」女子高生が列なして買ふ

  背伸びしてあたり見回す花の目に静かなりけり沼の水の面(も)

  人質の主を残しうなだるる大使館邸を出でし痩せ犬

  伊豆の海波の白馬が立上がり髪なびかせて東へ駈くる

  生麦の麦酒工場の煙突が煙吐きゐつ満月の夜

  心電図の乱れ憂ふる初春の白山通りマラソンを見き

  さみしらに山歩きする中年のひとり一人の踏む霜柱

  思はずも上司に向かひ投げつけし激しき言葉山に引きずる

  如月の空のすぢ雲ゆく先に真白き富士の高嶺ありけり

  青白き命の灯なり蛍烏賊(ほたるいか)あまた灯りて網に滴る

  軒下に放置されたる自転車の荷台の籠に鸚哥(インコ)さへづる

  枯蓮の池の底掻く白鷺の足にとび出づあはれ泥鰌

  笹に蟹蒔絵鼓の朱の縄のあざやかなりし硝子の箱に

  ねぐら入り真雁の群の降り来る蕪栗沼の夜騒がしき

  籾残る田を探してや雁の群蕪栗沼の朝を飛び立つ

  水底に脚差し入れてまさぐれる鷺のまなかひ泥鰌飛び出づ

  水槽のガラスに鼻を押しつけて所在なかりしさざなみ河豚は

  水無くも半年間を生くるとふ肺魚は四つの鰭に腹這ふ

  メキシコの鍾乳洞の暗がりに目無し魚棲むうすき桃色

  青白き灯の滴りの螢烏賊あまたの命網に掛かれる

  料亭の玄関マットを取替ふる職業もあり若宮大路

  町鴉電車の架線に巣掛くれば除くに電車十五分間止まる

  プリクラの写真の手帳開きては友の消息うはさし合ふも

  大粒の真珠つけたる耳たぶの下にシルクの黒き襟巻

  自衛官募集のビラの大学生男女は幹部候補生とぞ

  琉球のあけずば織は蜉蝣(かげろふ)の飛び交ふ空の風の手触り

  雨降らぬ水源涵養保安林湖畔の白き肌あらはなり

 

     アンリ・ルソー   六首

  パレットに二人の妻の名前あり気球見上ぐる画家はさみしゑ

  ぬばたまの黒馬駈くる戦場に鴉の群が屍ついばむ

  虎狩りのアラビア人の三人が岩山にゐる虎横たへて

  川面ゆく白帆見つめて人佇てり赤屋根多きパリの郊外

  続々と絵を持ち集ふ画家達の頭上笛吹く自由の女神

  落日のいよいよ赤き密林に黒人(ニグロ)を襲ふジャガー一頭

 

  かつてわれも浮かべし色か憐れみの色見つけたり出向の日に

  憐れみの顔色読みて頭を下ぐる出向の日の挨拶の朝

  酔ふほどに妻の不満の噴き出す焼鳥を食ひ釜飯を食ひ

  血管の青きが浮かぶ手の甲を見ながら妻の愚痴を聞きゐつ

  立上がり砕くる波の白さかな過ぎし勤めの日々に悔いなし

  雪原の昼昏くする日蝕の宙を飛び来るヘールボップ彗星

  己が影のサイドミラーに挑みては疲れて休む磯(いそ)鶫(つぐみ)かな

  セイウチの皮を張りたる舟に乗り鯨獲らむと帆かけてゆくも

  夕暮の雨に桜の散り初めて藪にくぐもるうぐひすの声

  うぐひすの声滴れり山蔭の小栗判官眼洗ひの池

  散弾を浴びし小鳥を喰みしとふオオタカ死せり鉛中毒

  深海魚釣らむと夜のコモロ沖魚浮きくるを舟とめて待つ

 

     地球博物館   六首

  目も牙も骨も残りて展示さる魚の化石のクチファクチヌス

  青絹の羽白銀(しろがね)にひらめきてキプリスモルフォ蝶の標本

  マンモスの毛の横にある糞化石その小さきに少女はぢらふ

  地にあればものみな石になるといふ鳥獣魚貝草木虫類

  木を伐りて燃料にする森林を砂漠に変へし古代文明

  地球儀はサハラ砂漠の砂の中ガラスケースの角錐に盛る

 

  白鷺(しらさぎ)の飛ぶ夕暮れの多摩川に漕ぐことやめしボートのふたり

  カアカアカア嘴太鴉の飛ぶ駅を貨物列車のワムワムワムワム

  たたなはる青垣山の花嵐谷戸をころがる鶯の声

  クリオネは裸の天使流氷の下の青みに透きてはばたく

  伊達家江戸屋敷に食ひし鶴、白鳥、スッポンもあり芥捨て場跡

  御閑所にひと時籠もり政宗の書きし献立雲雀の照り焼き

  駿府城本丸跡に左手に鷹とまらせて家康が立つ

  小魚を待ちてアユカケ石と化す水草生ふる湧き水の川

  妻老いて梅酒サワーをさはさはと喉(のみど)に流す夕焼けの空

  雪の家イグルーに寝るイヌイット白夜の海に海豹を撃つ

  富士川フォッサマグナを流れたり身延の山に貝化石出づ

  行乞の若僧一列帰り来て深々礼す御真骨堂前

  泥水のごとき潮の押し寄する沼津を出でて伊豆の白波

  ま直ぐなる岬の松に巣をかけし鴉かなしも潮風に揺る

  伊豆の海霞に曇る夕暮はあからひく日の見えざる惜しも

  絞め殺し植物の蔓に巻き付かれ巨木の溶けて立てる空洞

  酒飲みしこと悔やみては出勤す月曜朝の駅の階段

  道化師のはしやぎて出づるお台場の広場なまめく空中ブランコ

  白鷺の空のかよひ路よぎりける鴉に気付き姿勢乱るる

  百万年以上昔の木の化石明月院の裏山にあり

  明月院裏山に棲む鶯のしやつくり止まずケッキョケキョケキョ

  土牢の二段岩窟覗き込む顔に触れたる薄き蜘蛛の巣

  大温室肩たたかれて振り向けばメディニラ・マグニフィカ花の垂れたり

  肥(こえ)桶(たご)をこすり鳴らして花嫁を迎ふるならひありし古里

 

     妻の木彫(一)   五首

  御仏を彫れば長生きするかもと子宮筋腫をとりし妻はも

  子宮とりし後の背中に出でし瘤凝ると言ひつつ御仏を彫る

  角材の中の御仏彫り起こす妻の夜なべの夢明かりかな

  気品ありと仏誉むれば手を打ちて喜びをりぬ春の夕暮

  枕辺に彫りし御仏飾り置く妻の味寝(うまい)のやすらけくこそ

 

  寄る波をおさへて葭の生い茂る浮巣に鷭の巣籠れる見ゆ     

  牛肉の味はひにして低カロリー駝鳥の飼育はじまるらしも

  砂浜に背を灼きながら思ひをり火星に降りし探査機のこと

  満腹の万歳眠りのライオンを見つめてをりし縞馬の群

  子鯨の呼吸助くる母鯨幼き胸を頭に押し上ぐる

  岸に立つ河馬の背中を吸ふ蠅をつひばむアカハシウシツツキ鳥

  きまじめは芸人向きか職業を変へて学びしマイムの心

  老人の希望の星の老芸人老人ホームを巡る逆立ち

  縦走の明神、明星、塔の峰一夜明くれば家内(やぬち)をゐざる

  西日差す教室無人開かれし「歴史」の中に空海がゐる       

  寂しさは船虫の這ふ荒磯の潮に曳かるる石塊(いしくれ)の音

  釣られたる鰹ビビビビすべりゆく船の甲板淡き鮮血

  幽門水、腸、胃袋を塩揉みに酒盗つくれる土佐の鰹の

  裂かれたる身は火炙りのたたきかな鰹内蔵水にたゆたふ

  はちきんの土佐の女の勧めたる酒盗は旨し川風に酔ふ

 

     大道芸人(一)   五首

  四階の窓に逆しま身を垂らし超長き糸のケン玉をする

  無給にも座長引受け怒鳴りゐる大道芝居の高野長英

  音大の力もて吹くトランペット人間ジュークボックス立てり

  「うなぎ飯はうまい」サーカス団長はひとり火を吐く野毛の大道

  仰向けに横たはりたる池の底吐きし炎が水面を覆ふ

 

  魚座とふビルの二階の窓に見ゆ鰤・鯖の群一匹の鱏(えひ)

  弾丸を節約せむと撲殺すコンポントム省ゴム園の中

  手合はせて斧を打ち込む杣人の檜を倒す木霊響くも

  藤棚の下の地面に散らばりし花火の跡の色は悲しゑ

  甲冑を付けし武将の蒼ざめて佇つ木陰かなお化け屋敷は

  スーパーにバッファローの肉売られをり養殖されて数を保てる

  ひつそりとくびられにけり死刑囚引受人の変更を告げ

  頼朝の墓をはさめるマキとタブ茶屋閉ざされて降る蝉時雨

  プルプルと抹茶ゼリーの震へをり一泊二万の山峡の宿

  肉ふたきれ緑の塩を銀紙にほろほろ鳥の揚げ物の出づ

 

     大道芸人(二)   六首

  菜食主義 牛乳卵もとらぬといふ錦蛇飼ふベリーダンサー

  投げ銭の札数枚をマイク持つ指にはさみて歌ふバラード

  積み上げし椅子に逆立ち終へたればアコーデオンを胸に抱くも

  スナックに「ちょいとお兄さん」ひさびさに呼ばれて入るも新内流し

  反骨の背筋ま直ぐに立てりけり羽織袴のバイオリン弾き

  七年間勤めし会社さつと辞め妻の支への足長芸人

 

  地にもぐる螢蛹はかなしきろ尾にうす青き明かり点すも

  花火師の今年終りぬ隅田川来む年の空夢見て眠る

  扉開き台車に乗りて出できたる父の白骨たくましといふ

  元妻が骨を引取る死刑囚北の家族の黙深かりき

  螢烏賊子を孕みたる塩辛の柚子香りたつ冷酒の盃

  X(ばつ)付かぬ手配写真がふたつあり夏果てにける島の交番

  中村座枝垂れ桜を市村座枝垂れ梅をぞ植ゑ奉る

  断崖の空に集ひて翔りくる鳶に投げ餌の民宿の窓

  露出せる葉山層群断層を撫でつつ語る島の成り立ち

  古びたるミス湘南の色写真硝子ケースに羊羹を売る

  懐かしきラムネ飲まむか宮ノ下老婆に払ふ百五十円

  裏山の木の葉を散らす秋風に誰かこぎゐるふらここの音

 

     大道芸人(三)   三首

  黒革の衣装の口に赤き薔薇一輪バイクに颯爽と乗る

  蹴り上げて頭上重ぬる柄杓桶 型が変はれば買ひ溜めをする

  壷回し棒術石割り卵乗り つぼ心得し中国拳法

 

  言の葉にのせて現身舞はしめき多摩丘陵の寺山ワールド

  ナブラ来る三陸沖に鰯撒くをさなき顔の腕たくましき

  天地の傾ける国梅雨晴れて姿現はす「透明なボク」

  畦道に朱を散らせる死人花黄金の稲に華やぐものを

  経を詠む僧侶の後に従へり華僑の盆の長き線香

  百円を投ぐれば羽ばたき静まりぬパントマイムの路傍の天使

  サンオイル浮き袋売る駅前の釣具の店に秋風が吹く

  龍宮大神(わたつみのおほかみ)祀る新築の岩屋の奥の真澄(ます)鏡(かがみ)かな

  サルビアの赤に囲まれ盆を咲くアメリカフヨウの揺るる大輪

  熱帯の鳥の嘴そろふごとアメリデイゴの赤き蕾は

  明王の火焔の影の円天井蝋燭の灯の揺るがざりけり

  弁当をとどけてくるる人のため化粧して待つ独り老婆は

  死人花赤き血噴きて咲き盛る黄金の稲穂垂るる田の畦

  裏山は分譲霊園義経の腰越の状下書を読む

  ふたり子の巣立ちにければ鳩時計買ひたしといふ家籠る妻

  餌撒けばはしやぎ集ふ水鳥を引き連れてゆく白鳥ボート

  悲しみは凱旋門に立ちて見よブロンズ色の夕陽が沈む

  才能を愛が蝕む悲しさやロダンと別れ狂ひしカミユ

  満潮にのりて上陸アリバダの海亀の群揺らぐ砂浜

  上陸をなし得ず藻掻く海亀の首に巻き付く漁網青縄

  鼻先を砂に埋めて産卵の場所探し這ふ海亀の群

  片足を鮫に食はれし海亀が片足に掻く産卵の穴

  引き潮に迎へられたる子亀達母なる海に抱かれて去る

  海亀の数十万がくるといふオスティオナルの一キロの浜

  まなこ無き十王像に囲まれて我ら座れり小暗き御堂

 

     妻の木彫(二)   六首

  家籠る嘆きの妻にありけるを習ひ始めし仏像彫刻

  表のみ日焼けしにけり木彫の二年たちたる小さき大黒

  左より風吹くさまに炎(ほむら)立つ不動明王まなこ瞋れる

  短きは迫力欠くとわが言へば剣長めを彫りて持たすも

  誰彼に不動明王を見せたきに嫁つれてゆく展示会場

  子の去りし学習机布かけてそつと置かれし不動明王

 

螢烏賊