天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十二年「扉」

  この山の抱ける熱き塊に湯は湧き出せり一の湯二の湯

  水槽の底ひも壁も青ければアカクラゲの傘ますます赤き

  手も肩も首なきもあり羅漢像廃仏毀釈に風化加はる

  人のせてゆきし牛車は暁に服のみのせて帰り来しとふ

  穴あまた開けたる幹に団栗に合ふ穴探すドングリキツツキ

  ネクタイの白と黒との違ひなり婚と葬なる人の顔付

  国学の基となりたる神の道幾百万の民を逝かしむ

  自転車の買物籠に犬乗せて蛇行したれば犬の耳揺る

  仏舎利塔白きが下にくれなゐの山茶花散りて地を明かうせり

  「君が代」も「日の丸」も嫌さはされど米国国歌は起立して聞く

  空洞の幹になれども長らふる巨木の命樹皮が支ふる

  当直の教師の膳に置かれたり生徒らが飼ふ鶏の卵

 

                   第一回酒折連歌賞入選

      問いの片歌「この星の次の世紀へ何語り継ぐ」

      答えの片歌「こころせよプロメテウスの火をわれら持つ」

 

     外人墓地(三)   五首

  日本人妻と眠れる傍らに「連理の梅」の花咲きにけり

  友のため命捨つるを最高の愛と記せり福音の石

  蓮光寺墓の裏手の乙女坂少女らの声はつか聞こゆる

  石川町駅ガード下尻見せて涅槃の形に寝るホームレス

  秋立てる港の見える丘に咲く「ビクトル・ユーゴー」くれなゐの薔薇

 

  高山の上三之町年暮るる蕎麦屋の前の水車からくり

  虫たちの不思議を見むと「母と子の森」を彷徨ふ冬立てる朝

  鮪一本数百萬を釣り上ぐと大間の海に若者帰る

  水鳥の羽根なよなよとしなひたる疑似餌の烏賊のなまめき光る

  白鳥の長旅終はる皆瀬川鳥海山に雪の降り積む

  神のしとねの銀緑なる草木染セイタカアワダチソウが染めたり

  恋をして何が悪いといふ顔に扉を開けて猫帰り来る

  「回天」の扉の鍵を探す夢幾人見しか出撃の前

  琵琶抱ける裸弁天潮風に「一陽来復」旗のはたたく

  先祖らが聞きし火の音風の声夜の浜辺にわれら焚火す

  上空にミサゴ来れば首伸ばし葭の葉と化すヨシゴイ親子

  葭の茎掴みてありくヨシゴイの忍者歩きに魚は気付かず

  空洞の幹になれども長らふる巨木の命樹皮が支ふる

  わが生を引継ぎゆかばこの身体根に与へむか樅の大木

  啄木鳥が蓋開けくはふる爪楊枝からくり箱を妻は買ひたり

  夕暮の空に浮かべる雪山の死にゆく色となりにけるかも

  山間に棟寄せあへる飛騨の里夕暮寒く年暮れにけり

  目覚めてはペディキュアなせる女あり揮発油匂ふわが横の席

  かしましき三人娘の大阪弁新横浜に着きて終りぬ

 

     革命前夜   五首

  孫文の思ひはるけし死を前に「現在未だ革命ならず」

  大国に支へられたる独立の道はるかなり死体ころがる

  新世紀の福音といふヒトゲノム解明前夜青き薔薇咲く

  遺伝子を組替へられて蛍光す重金属に触れし蛙は

  二千年明くれば狂ふ何かある除夜の鐘聞くカウントダウン

 

  かしましき雀の群に疎外さる紅梅に来し一羽の目白

 

     二十世紀の映像   二首

  ブルドーザーに押され崩るる干からびし人体の山ワルソーゲットー

  ガスマスク付けて踊れるロンドンのパブに響かふ空襲警報

 

  凍鶴が動けぬ朝の湖の氷の上をくるキタキツネ

  朝光(あさかげ)に鉄腕高くふりかざし凍土を拓くブルドーザーは

  失ひし心探して溯るサンクトペテルブルグ船旅

  近頃の寺の普請も珍しく春日に光る銅板の屋根

  ながながと尿する主を道の辺に老いたる犬は俯き待てり

  教壇に立ちしは昔大学の埃被れる馬の骨格

  ミセスM・Eランディングとふ睡蓮の高貴なる顔沼に咲き出づ

  日の差さぬ部屋のガジュマル褪せたれば鉢の客土に挿す栄養剤

  平成の世に老人の増えたれば電車もバスも座る席なし

  余念なきチリフラミンゴの羽づくろひ膝関節の淡きくれなゐ

  隅田川沿ひに増えたる青テント係累断てる寒さに震ふ

  「南無虚空蔵菩薩」の白き旗並べ死者と祈れる家内安全

  権五郎神社の奥のほのあかり四つの雪洞並べたる見ゆ

  日を返す携帯電話の表示板知的な色が買替へ誘ふ

  ホバリングして蜜吸へり鵯が無残に散らすさざんかの花

  壁際の甲冑、具足、旗指物戦国駈けしもののふの影

  検証の仕方学ばぬ若き日の「歴史」を悔やむわが老ゆる日々

  酒蔵のおやぢだけしか飲めぬとふ原酒千代菊わが前にあり

  少女らは玉葱抜きのハンバーガー慶大受くると話しつつ食ぶ

  荒川線二台続ける霊柩車信号待てば三台目来る

  水涸れの排水溝に鳴る落葉視線の遭へば懸巣飛び立つ

  冬枯の山に青々生き継げる羊歯の類(たぐひ)に吐気もよほす

  半翅目ツノゼミじつと動かざり枯葉に映る蟷螂の影

  星条旗日の丸並びはためけり所在なげなる灰色艦隊

  ヨーロッパ風景絵画を並べ売る弁天橋の異国の男

  忘れ得ぬ飛騨高山の「深山菊」塩舐め聞きし一枡の酒

  あづさゆみ春の山風冷たきに襟立てて見る相模海境(うなさか)

  ひむがしに向かひて沖を釣りゆけり青旗張れる船の連なり

  砂につく露に生き継ぐ千年のナミブ砂漠の奇想天外

  みほとけのまなざし深き境内に春日あまねく人を照らせり

  らうそくの火影揺れやまざりしかばをろがみ深き長谷観世音

  闇深き森に火を焚き作りけむ縄文土器の火焔渦巻く

  日出づる処の天子若々し豊葦原に大路とほせる

  朝廷に鮑献じし記録あり遠くて近き耽羅(タンラ)の海女(ヘーニョ)

  城郭を作らぬ都盗賊は朱雀大路の闇にまぎるる

  秀吉とフェリペ二世が共に見し世界制覇とふ中世の夢

  竿立てて海底のぞく箱めがね木舟がひとつ入江に浮かぶ

  海越えてもらはれきたり産み継げる朱鷺保護センター嘴打ちの音

  次の世に連れてゆかるるごとまぶし銀の車体の桃色の線

  風呂敷に包みて狆(ちん)を抱きたる媼の顔は狆に相似る

  武蔵野に囲はれ生くる蒙古馬春風吹けばペニス伸ばせり

  息づけるアヅマモグラのそろそろと虫に近づく金網の筒

  薄赤き人工燈の檻の朝木にまつはりてムササビ眠る

  十年を孤独に過ごす春風にあきらめ顔の雄のシマウマ

  嘴にくはへて選ぶ白き死魚人工飼育のコウノトリ生く

  片方の風切羽根を切り取られ爪を噛むのみコンゴウインコ

  細長き口をそのまま頭につなぐオオアリクイの顔をさびしむ

  松葉食むオオライチョウの啼く声は針葉樹林を透(とほ)る野太さ

  心澄み歌読みをれば憎々し通勤電車に二人抱き合ふ

 

     春愁   五首

  朝くれば風薬飲み夕されば酒呑む悪しき循環断てず

  ライオンが肉を貪る武蔵野のコナラ林に鴉集へり

  有袋類コアラ仔を生む武蔵野のまろきドームに飼はれ幾年

  リストラのなりし工場静かなり辛夷ふた本今年も咲きぬ

  厚底のブーツに紺の袴なるからくれなゐや今日卒業す

 

  胸像の視線たどれば横須賀港雨にけぶれる軍艦はある

  自販機にタバコカートン補へり町のはずれの春のゆふぐれ

  笹叢の葉擦れの音のさやけさを破る暴走族の爆音

  春分の日の北風に身をすくめ魚くるを待つ浜の白鷺

  風切羽根取られたる身を寄せ合へりベニコンゴウとルリコンゴウと

  ことさらに黒き幹なる不気味さの白き花散る靖国神社

  鋸山地獄覗きに立ちて思ふ捨身飼虎図の玉虫厨子

  日当たりに伸びて日蔭の根を枯らすソクラテス・エクソ・リサは歩く樹

  みな目つきをかしくなりて人を見るオウム棲むとふ深草の里

  声高に女子高生ら話しをり臭きをぢんには臭いとぞ言ふ

  岩山の蝦夷薄雪草かがみ見る人皆エーデルワイスと騒ぐ

  湯の花の噴き出づる赤き山肌にわがひとり乗るゴンドラの影

  時たまに手足わらわらそよがせりパックの中の活き車海老

  身をかがめ波に浸りて魚を狙ふ黒き鵜の二羽待てど獲らざり

  黒松の太枝(ふとえ)に止まり高啼けりインドクジャクの瑠璃色の首

  幾千年星空ながめ進化せし地の星としてイヌフグリ咲く

  切実に縋りてめぐるまはり堂雨やはらかに著莪の花咲く

  阿と言ひてこの世始まる阿阿阿阿と鴉は啼きて数を増やせり

  何十年に一度花咲き枯死すとふアオノリュウゼツランをうらやむ

  誰が骨を埋めしならむ墓石の散らばる山に木の根現はる

  帰化したる中国原産ユキヤナギいつの世ならむ海渡り来し

  おほかたは老人なりき花散りし靖国神社に柏手を打つ

  砲兵隊陸士同期会輜重隊植樹の花の今盛りなる

  ひとつ岩に亀の四匹が首伸ばし風に吹かるるあやめ見てゐる

  天駈くる悟空思ひき青空の視野の果てまで続く雲海

  モモンガを携へ来たり窪田家に白単衣着て中西悟堂

  一缶の麦酒に酔へば口さがなしわが後頭部の禿(はげ)を妻言ふ

  変はらざる熱海駅前間歇泉天行力は失せにしものを

  カイバルの谷に歌垣とよもせり遠征軍の末裔が棲む

  走水沖つ白波立つ見えて防衛大学生らこぎゆく

  ジェットコースター先頭席に座りたる男の顔を追ふ双眼鏡

  むらさきの原種の薔薇にいつ誰か「ジプシーボーイ」の名前付けにき

  雌象の陰処(ほと)鮮(あたら)しく見ゆる日を常磐木門の木陰に憩ふ

  汚れたる手の現れて伐り拓く森の螢は火を点さざり

  赤松のねぢれねぢれし幹見ればそを揺さぶりし寒風を思ふ

  金網に錠前あまたぶら下がる愛の誓ひを落書きとして

  人間の進化の果てはうぐひすと夢見て登る山若葉道

  蓮の葉にむすびてまろぶ朝露を口開きて待つ池の鯉かも

  お転婆といふは酷きか乙女児が天狗の下駄をはきてころびぬ

  葉桜のそよりともせぬ空なればわが後頭部を日が熱くする

  閃光に消えにし人の影残る壁に向かひて叔母を思へり

  伐採を止めたる森に職はなく都に出でし象の群はも

  仏教の信心篤きタイ、ビルマ 戦続けて廃墟残せる

  切り取られ土に埋もれし仏塔を根に抱へ出づ大樹となりて

  日本語の独立守る乎古止点打ちて読みにし「白氏文集」

  メキシコの死者の日たのし骸骨の面を被りてメスカルに酔ふ

  バスを待つ朝路地裏にプロパンのボンベかつげる男入りゆく

  高麗山(こまやま)に木の白骨の立ちたれば石の鳥居をしみじみくぐる

  病院とお寺が並ぶこの町に心やすけくわれら住みなす

  リボンなす背鰭胸鰭美しきイトヒキアジの群の回遊

  水槽に二十八年生きたればシロチョウザメの目つきはうつろ

  動かざる青く濁れるクエの目にみにくき今日のわが映るらむ

  クーラーの心地よからむ交番にガラス戸閉めて警官は立つ

 

     暁の寺(一)   五首

  赤土の大地広がるホーチミン未だ癒えざる爆撃の跡

  芥浚ふ黄色のボートをちこちにチャオプラヤ川鋭く臭ふ

  それぞれに蘭の花輪を買ひかくる妻ら華やぐ水上バス

  土産物売りつくる手を恐れつつ黒き肌への視線はづせり

  川の辺のワットの向かひ棺桶屋白き棺を積み重ね売る

 

  黒々と鯉つらなりてあぎとへり下水処理場放水の門

  戦ひの絶えざりし国に仏教の信心篤き人々の住む

  静かなる湖面をすべる船なれば妊婦はうつらうつら居眠る       

  逢へばなほ苦しかるらむ老づきし鵲橋(かささぎばし)のベガ、アルタイル    

  他国民を殺しし故の原爆と因果説きける長崎の人

  いつせいに波の穂に乗るサーファーの黒き影立つ腰越の海

  御仏の御手に結べる紐といふ人ら握りて闇透かし見る

  うつろなる目が薄笑ふ婆藪(ばす)仙人経一巻を左手に持つ

  いにしへの風の残れる金堂に妻と見上ぐる大日如来

  谷川の白き小石の河原の曲がりに立ちて咲く山帽子

  仏像を彫る妻のため木材を買ひにきたれり秋川渓谷

  真つ直の材は少なし御仏を彫らむと探す太き材木

  幾人の肌包みけむ山水の絵柄の浴衣売る蚤の市

 

     暁の寺(二)   六首

  横座りしたる女の打ち鳴らす鐘(チング)聞きつつ飲むタイビール

  バス降りて朝の日射の強ければバンパインに買ふ麦藁帽子

  部屋部屋に妃を棲まはせて夜を待てり白き花咲く夏の王宮

  出稼ぎの象の背中にふたつ揺る妻の日傘とわが夏帽子

  仏教の信心篤きタイ、ビルマ 戦続けて廃墟残せる

  切り取られ土に埋もれし仏頭を根に抱へ出づ大樹となりて

 

  二人連れ男が引けるお神籤を女が覗く長谷寺の秋

  幾年をみどろヶ池に棲みつける体の重き瘤白鳥は

  若竹の葉群に生るる黄金の光たふとし長谷寺の風         

  幼子の拳が握る朱き実を思へばたのし辛夷の若葉

  敗戦の意味しみじみと思ひ知る国旗国歌を踏みにじる今

  武蔵野を手なづけ野菜はぐくめりあきる野市立西中学校

  稲妻と雨と激しき夕暮の湖上はたはた鳥一羽飛ぶ

  来る度に水子地蔵の増えてをり今日ひぐらしの鳴く木の下に

  秋風の駅のベンチ嗅ぎ分けし魚にまぶせる胡椒の臭ひ

  真向かひてわがたぢろげば鉄錆地鳶鼻面(めん)頬(ぽお)にやりにんまり

 

     暁の寺(三)   六首

  それぞれに書きし手紙を交換す夫婦並べる晩餐の席

  手の甲に増えたる皺にかいま見ゆ転勤にゆがむ男らの顔

  定年の後の人生励ませり宴に読める社長の手紙

  金渡し交通違反をまぬがるる相互扶助とふバンコク事情

  くるものと信じて待てる路線バス時刻表無きを訝るわれは

  黒々とワット・ポー境内に立つヒンドウ教の陽根あはれ

 

  銀杏の木の根方に水子地蔵増ゆ茶髪も拝む長谷観世音

  東海道藤沢橋に近づけば「畳を替えてハワイに行こう」

  ふた本の向日葵咲きてみすぼらしビデオレンタル店の外壁

  高尾山雨に降られて下りくればリュックの底にケイタイが鳴る

  もののふの霊鎮めむと絶やさざる灯しが揺るる千年の闇

  うち寄するおだしき波を吸ひ取れり白々続く弓なりの浜

  八景原無縁仏の墓並ぶそのかみありし遊女の身投げ

 

     大和の秋   五首

  陵の石の鳥居を前にして稲田の畦の草を刈りをり

  渡り来し百済の人の手になりし飛鳥大仏手まねきたまふ

  それぞれに踏みつけたるは天邪鬼四天王には近寄り難し

  水掻の見ゆる右手をひろげたりパンチパーマの薬師如来

  雨の朝ベッドの脇にひとり食ぶ昨夜の残りのモンキーバナナ

 

  みちのくに極楽浄土を夢見たる龍頭鷁首(げきしゅ)の舟池に浮く

  助走して飛び立つはよき信天翁蹌踉(よろ)けて着陸するをさびしむ

  シルル紀の地層に群るるウミサソリ ニューヨーク州に栄華極めし

  アマゾンの木立に砂を降らす音蟻が威嚇の体震はす

  一筋の光さしくる雪原に春を呼ぶ声北狐啼く

  地底くる軍靴の音にをののけりしぐれて黒き武蔵野御陵

  肉付けるかの子の白き足を見る濃き桃色の室内履きに

  うなさかを飛び越え来たりあしひきの山に蜜吸ふアサギマダラは

  満月の夜は鯰が浮かびくるワライカエルの笑ふ水面

  明け方と夕方笑ふ家族かなワライカセミ五羽の棲む檻

 

     最終定理(一)   六首

  ベストセラー「聖書」に次ぎて読まれしとふわが手に余す重き「原論」

  特別の意味持つ数を崇めゐき例へば完全数のごときを

  ローマ兵に返事せざれば刺されけり砂地に描きし幾何学図形

  証明を無限の空に敷衍する帰納法とふ金色の糸

  無理数の存在証(あか)す背理法小さき薔薇の棘たくましき

  在非在相半ばする聖霊虚数をいへりライプニッツ

 

アカクラゲ