天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十五年「大根の苗」

  観光の道の裏側竹むらの陰に植ゑある大根の苗

  夕されば駅の広場のクスノキに何鳥か群るこぼれむばかり

  太刀魚の銀の刺身のの旨味極まる雪国の酒

  外来におわあおわあ猫が鳴き二時間近く待ちて呼ばるる

  祖父二枚祖母四枚を書きしとふ政府に託す孫への手紙

  息吸つて止めてそのまま二十秒X線が胴突き抜ける

 

     ユリカモメ   九首

  打ち寄する波を避けざるユリカモメしばし休みて潮風に乗る

  岩を抱き石と化したるタブの根は地中深きに今も伸ぶらむ

  ユリカモメ浜に集ひて闇を呼ぶ一灯点る腰越漁港

  浜波を見つめて飽かず夕暮の海に吸はれしたましひひとつ

  前脚に顎乗せ庭に寝そべりて犬は道ゆく我を目に追ふ

  巨(おほ)いなる蘭鋳三尾水槽に飼はれ蕩(たゆた)ふ充血の目(ま)見(み)

  ユリカモメ冬の岩場に群れて立つうす桃色の水掻きの足

  夕されば小鳥集ひてかしましき樹齢九十年のくすの木

  地獄門と化したる根方大楠の梢に今も水行き渡る

 

  空洞の幹の根方に虚空蔵菩薩抱けり霊樹クスノキ

  岩盤のなだりを水がたぎり落つ 弁財天を祀る大釜

  そのかみの墓場もありき 闇抱ける土牢多き鎌倉の谷戸

  車にて集へり 谷戸の雨乞の霊地に上がる勤行の声

  かはゆいと観光客が撫でたれば募金箱置く野良猫の島

  白と黒二匹寝そべる坂道に小銭貯まれる「ねこ募金箱」

  めでたさや烏帽子姿の白猿に手綱引かれて神馬出で立つ

  木の枝と紛ふばかりの腕拡げ人見下ろせりシロテナガザル

  置く供物猫と烏が奪ひ合ふしぐるる寺の動物霊塔

  足あげてホームの鳩を子が脅す脚痛めたる鳩は動かず

  延焼の火傷とどめて枯れ残る寂光院のの桜

  水面に顔出す雌を押さへ込み瞬時交尾す青首の鴨

  おだやかに冬の陽が差す絵筆塚木の間を渡る鵯の声

 

     歳末逍遥   八首

  あたたかき日もありけるを柚子の実にしぐれ冷たき稲村ヶ崎

  鬱深き杉の木立にしみじみと冬日洩れ来る山の静かさ

  腰に捲く赤きロープは細々と柱状節理の岩壁に垂る

  丈高き分けてわがゆけば驚くなかれ山鳥が発つ

  甦る岸信介のDNA被虐史観の人ら恐るる

  記名なき位牌並べる金色の御堂に差せる朝の太陽

  あはあはと冬の日が逝く腰越の海に腹這ふサーファの群

  白抜きの文字は「江ノ島弁財天」赤き幟を巫女は立てたり

 

     山のペンション   五首

  伊豆の海見下ろし墓のあまた立つ骨埋めたる海岸段丘

  吊り橋の下に逆巻く冬潮の白に目まひす飛び去るごとし

  噴き出づる熱川の湯気空に追ふ目つきの悪きメガネカイマン

  わが心はや鞘走りたたなはる山のかなたに夢をめゆく

  ふたりして浸る斜面の露天風呂山頂近き銀河に溺る

 

  黒々と裸木の桜立つあたり匂ひて白し水仙の花

  思ふさま枝を拡げて老いにけり時雨に濡るるさるすべりの木は

  がうがうとレインボーブリッジを走りくる日本経済自動車の列

  港湾に英語の指示が響かへり渚にが泳ぐ横須賀   

 

     春遠からじ   八首

  子の彼女胸乳豊けき人といふ連れて来たればまぶしみて見る

  新郎の到着遅れやきもきす玄関近く両親が待ち

  刀剣の上を歩ける鳩の足朝の光に赤く透きたり

  最悪の場合首吊るロープといふ刃物に並べ売る蚤の市

  絵馬見ればかなしき願ひ多かりき「あたまがはれつしないように」と

  寒風に赤肌さらすヒメシヤラのわれより長き一生思へり

  らくやきの仕上り見ればあはれあはれわがヒメシャラはあかあかと燃ゆ

  硫気噴く谷のなだりに小屋かけて黒玉子売る 食ふ人の群

 

  道に沿ふ塀に描かれし鳥魚少年院の内側見えぬ

 

     魂鎮め   六首

  逝く夏の日射に立てばしくしくと胃が痛み出す終戦記念日

  刀差して東の空を望み見る陸軍創設者の太き眉

  今となれば幼く見ゆる零戦の操縦席のかなしかりけり

  戦線を拡げし末に失ひし泰緬鉄道の黒き機関車

  第一種軍隊手牋に書かれたる勅諭は何に代はりたるらむ

  「衛府の太刀」元帥刀を賜はりて国の護りに兵を逝かしむ

 

  頼まれてシャッター押せり寒々と男女ふたりが梅林に立つ

  夕さればいづくに眠る冬枯の山に飛び交ふ鵯の声

  冬枯の山はすがしも梢つ小鳥の先に青き空見ゆ

  瀟洒なる艦長の部屋開戦を待つ間しまらく横たはりけむ

 

     睦月   七首

  首ふたつ蓮の台(うてな)に並べたり人頭杖の用途知らえず

  上流は大刀洗川ことさらに緋鯉目につくこの滑川

  ブタマンを売る店先に親豚が子豚数匹連れたる土偶

  悪食の息吐き出すや苦しげにお辞儀するごと烏鳴くなり

  老木の朽ちて臭はぬ清しさよ苔蒸すままに土に還れる

  天地(あめつち)をとよもして鳴る砲撃を麓に抱く富士の雪嶺

  町を来しマスク外して吸ひ込まむ雨に覚めたる木々の息吹を

 

     湘南早春   三首

  銀冠をかむれる奥歯痛みだし御堂にかすむ裸弁天

  中津宮奥に光れる円(えん)鏡(きやう)に映る大空タブの大木

  わだつみの神鎮めむと身を投げし妻を嘆かふこの吾妻山

 

  タイ米が原料といふ泡盛にふとも涼しきトウキビの風

  泡盛の泡の由来を聞きゐたり洞に並びて古酒醸す瓶

  段葛(だんかづら)植込みに立ち手を振れば花散る中をくる鼓笛隊

  大島と利島の影を薄くせり伊豆の海ゆく黒きタンカー

  入水せしお吉の淵は名のみにて菜の花咲けり浅川の辺に

  樟、檜一本作りの仏像がひしめく下田宇土金の村

  水鳥の糞がもたらす風邪の菌豚経て人にインフルエンザ

 

     絶滅危惧種   八首

  マレーバク「ユメコ」は長き舌出せり日本生まれの二十三歳

  バオバブのに入り見る皺くちやの肉たるみたる象の尻かも

  春雨の動物園の岩蔭に寄り添ひ眠るワオキツネザル

  横たへし木に同化せるヨザルなれ色黒ければ姿見えざる

  ぬばたまの黒きしだり尾引きずれり砂場の餌を食むオナガドリ

  樹齢約二百年とふの張り出す枝に咲く

  島に住む犬もも老いたれば弁天橋をうつむき渡る

  雌象のうすもも色の性器垂る小田原城の花の盛りに

 

  青白む水平線の空に浮く染井吉野の冬木の梢

  幾筋も根を張り出だし地を掴む山の斜面のコナラとクヌギ

  吊したるタイヤの中に身を伸べて眠りむさぼる春アライグマ

  池の面の鴨の動きを見つめたり恋に破れし若き野良猫

  飯炊けと妻に電話す小田原のうるめ鰯との開き

  禅林寺花の下なるはす向かひ太宰治森林太郎

  鉄兜 薬莢(やくけふ) 軍刀並べ売る戦後六十年の骨董として

  春潮にあまた漂ふ空缶を乗合船に近々と見る

  浜風に吹かるる花が肩に触る聖観世音菩薩石像

 

     卯月   八首

  川底の瓦礫掴みて上がりくる鉄の拳の泥の滴り

  濁りたる春のうなさか海鵜飛ぶ沖ゆく船は石積むらしも

  奥深き三河の海に棲む海鵜魚飲み込みておもおもと翔つ

  呆然と海を見つむる篠島の宿の窓辺を燕が過ぎる

  宿に棲む燕なるらむ飛ぶ道は窓辺の空の右から左へ

  神ゐます大山の嶺高らかに雌を呼び込むうぐひすの声

  白骨をさらす大樹の多ければブナの苗木を金網に護る

  森林太郎太宰治とはす向かひ片や花のみ片や酒あり

  病葉(わくらば)の散り敷く島の沖に見ゆ浚渫船(しゅんせつせん)のショベル口開く

  打ち首の首据ゑられし丘の上に神社建てたり白梅匂ふ

  「山はさけ海はあせなむ世なりとも」桜咲くなり碑の辺に

  電線にかかる樹木を伐り倒す人より永く生き来しものを

  写経せる乙女四人の尻ばかり残像として長谷寺を出づ

  髪薄きちよび髭男が集めては治すバイクを見るはたのしき

  ぶおうぶおうと鼻を鳴らして横たはるゾウアザラシの巨体目を剥く

  鼻先に草をつかみてうちたたく象のにものる青き草

  馬の数少なくなりし今の世に伝へてゆかしき流鏑馬神事

  望遠鏡(とほめがね)持つ人ふかす人尻端折(しりぱつしよ)りが黒船を見る

  薬師寺の東塔西塔美しき空鳴き渡る鶯の声

  身投げせし采女思へり満月の憂ひ顔なる猿沢の池

  数かぎりなく波の上に散らばれり光の粒の白ゆりかもめ

  竹飾り差し交はしたる七夕の風に吹かるる老人の群

 

     皐月   七首

  葉桜の蔭に並んで手招けり骨董市の布袋と狸

  葉桜の下に並べる骨董の小皿にたまる白砂ほこり

  長谷寺を出でて左手骨董店唐三彩の駱駝く

  刀工の鎚音今も路地にあり砂鉄黒ずむ稲村ヶ崎

  職を去るみ越の崎のの心見つむる甘縄神社

  蘂黒き罌粟の大輪朝もやに酔ふごとく咲く駅前広場

  山の辺に猟犬供養碑新しく猪狩る犬は檻にうごめく

 

  オンコロコロマトウギソワカ真言の意味不明なり尊からずや

  文明の廃墟美し玄奘の道をたどりし平山郁夫

  百円のお守り買ひてをろがめり秋篠寺に立つ技藝天

  胸に蛇首に髑髏の飾りあり大将の逆立てる髪

  江ノ島の裏道ゆけば土産売る店のくらしの台所見ゆ

  青梅のふくらむ木陰鬱深く藤村夫妻の墓並びたり

  鳴き砂の音守らむとゴミを拾ふ琴引浜の朝靄冷ゆる

  日に焼けて人力車曳くの胸当て黒き鎌倉の谷戸

  はるかなるペルシャ帝国王の道砂嵐つき戦車が進む

  コップ酒大吟醸を傾けて妻と見てゐる空爆映像

  気遣ひて米軍兵士近づけば妊婦自爆す悲しかりけり

 

     水無月   八首

  浅き瀬の目久尻川の水の面に背鰭揺らせる泥鯉の群

  明鏡の前に居並ぶ白衣(しろぎぬ)の信者震はす太鼓のひびき

  初島の極楽鳥花群れ咲けり皆口々に夏をことほぐ

  初島のほたる袋は寂しきろ額紫陽花の下にうつむく

  初島リュウゼツランの葉に残る古傷としてフサヨとユミコ

  初島のところてん草干す浜に猫寝そべりて人の手を待つ

  かむなびの木立残れる相模野に平成の世の田を耕せり

  緑濃き寺の境内手をつなぎ喪服の父が子と佇めり

 

     水族   五首

  金色の螺鈿の鱗きらめきて静かに群るるピラニア・ナッテリー

  水槽のアヲウミガメは人を恋ふガラス隔てて見つめ合ひたり

  縞々の皮強ければ人間の財布に変はるあはれウツボ

  かすかなる命はどこに宿れるかその身透きたるギヤマンクラゲ

  イシダヒの芸見てをれば大雨が水族館のテントを叩く

 

  ヨシノボリ、カハニナ、サハガニ生かしめき谷戸里山の湧き水の口

  ザリガニが泥はねのけて這ひ出づる小栗判官眼洗之池

  蝉声の岬に立てば梅雨明けの相模の海にかすむ初島

 

     文月   八首

  阿弥陀寺に琵琶掻き鳴らす和尚ゐて今さかりなるあぢさゐの花

  塔ノ沢阿弥陀寺橋を渡りきてひめしやらの湯に汗を落とせり

  千羽鶴六筋かけたる六地蔵ひたすら折りし面影がたつ

  大楠の梢に烏巣をかけて神しろしめすこの世生き継ぐ

  烏賊ちやんちや焼きと長茄子漬に酌む麒麟麦酒一番搾り

  蝋燭の炎伸びたり縮んだり蝉の声聞く御堂小暗き

  潮風にゆだねて宙に浮くシギはたまゆら海に落ちて魚捕る

  看板の絵の張り替へを見てをれば剥がれぬところ上から貼るも

 

  大山の木立の奥にとどろけり蝉の声消すチェーンソーの音

  尊氏の父は貞氏古りたれど姿勢正しき宝篋印塔

  線香の煙幾年嗅ぎにけむ地蔵菩薩は運慶之作

  潮風の絶ゆることなき断崖に家立ち並ぶ稲村ヶ崎

  鵠沼に潮満ち来たり係留のプレジャーボートの腹打ち叩く

  「君が代」に唇はつか動かせり表彰台の水泳選手

  雨風に乱るる木立とめどなく山手通りに鳴く油蝉

  桜木の梢々にみんみんの声ねばりつく清浄光寺

 

     白秋の三崎   八首

  城ヶ島大橋の下に隠れたり椿の御所の慈母観世音

  異人館前のもなくなりて三崎漁連の白きビル立つ

  梅雨明けて日差しまぶしき遊ヶ崎石碑の磯にパラソル開く

  北条の潮入川の源の水を思ひてちつくしたり

  白秋が遊女想ひて泣きにけるの夕茜かな

  三崎漁連向ヶ崎の対岸は夏を惜しめるビーチパラソル

  二町谷海外(ふたまちやかいと)の浜に水遊び孫見守りて煙草ふかせり

  漣痕(れんこん)の岩礁(いくり)に群るるかもめ鳥晩夏の風にはばたきて啼く

 

     大山参り   五首

  御佩刀(みはかせ)の先より生れし神々を祭る大山ケーブルの駅

  初穂料百円を捧げ一盃を口にふふみぬ大山の酒

  大山の杉の木立の蝉時雨いろはもみぢの若葉明るき

  大山の下社の地下に湧き出づる神泉を汲み汗を鎮めき

  涼し気な直衣着けたる禰宜巫女がつらなり登る古き参道

 

  ザリガニの数かぞふればあれよあれよ小栗判官眼洗之池

  「我妻はや」三度叫びし夕闇の秋風寒き足柄峠

  内宮を出でておはらい町をゆく造り酒屋のあれば聞き酒

 

       木兎(づく)の家   八首

  断崖に三浦一族滅びたり砂岩を走る船虫の群

  帆をあげてヨット出でゆく油壺異形のものら見上げてをらむ

  海底にしんととろりとたゆたへり水無月の夜に浮かびくるもの

  油壺、諸磯(もろいそ)、引橋さまよひて歌詠みし日の羨しかりけり

  からころと合格祈願の絵馬が鳴る海見下ろせる山角天神

  朝飯を終へてくつろぐの家 あ、郵便がくる木洩れ陽の坂

  榧の木と石垣残るこの庭に八年間を住みし白秋

  「赤い鳥」の小さき歌碑を見つけたりみみづく幼稚園を覗きて

 

  わだつみと天と出会ひてかぎろへり七里ヶ浜の沖の釣り船

  水稲とともに渡来の曼珠沙華ネズミ、モグラを田に寄せつけぬ

  吾妻山頂き過ぐる秋風に大き榎の実は色づきぬ

  枝打をなさざる杉は荒々し千筋なす根が山を支ふる

  盗賊と関所破りを弔へり足柄峠の首供養塚

  犬連れて父の帰りを待つ母子車道よぎりてかけ寄るあはれ

  新旧の蜂の巣並ぶぶんぶんぶん日向薬師の藁屋根の軒

  年に一度撞かるるを待つ洪鐘の黒き肌へを秋風が吹く

  見上ぐれば目眩む高さ大杉の幹古りたれど力みなぎる

  大杉の幹に両手を押し当てて静かなる気を身に移しけり

  方丈に結跏趺坐せりとくとくと我が身をめぐる血潮の揺らぎ

  不動堂下にかかれる瀧染めて大雄山の紅葉の炎

  兄恋ふる狂ほしき身を焼き尽くす火定の尼の赤き石像

  かりんの実ひとつもぎたりせせらぎの丸太の森に人影見えず

 

     多摩の奥津城   八首

  「新生だ」逝きにし白秋に合歓の花咲く多摩の奥津城

  鉦鳴らし線香立つるまなかひに光をつなぐの窓

  白秋を訪ねてきたる多摩墓地にはからずも会ふ東郷、児玉

  人妻と暮らしし家はこのあたり地図をたよりに訪ふ神楽坂

  朝光(あさかげ)に目覚めたるらし緑濃き三浦三崎の大根畑

  一夜城本丸跡に立ちて見る海とまぐはふ小田原の町

  いつどこにさらすやかもめ鳥波間にあまた群れて憩へる

  荒崎の断崖に咲くの黄色し今日白秋忌

 

太刀魚