天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十七年「アマリリス」

  丁寧に墓を浄むる白髪の老婆を見たり谷戸の朝日に  

  塔あまた立ちてパイプをめぐらせる白濁の潮

 

     早川   八首

  黄葉の散れる水面は早川のみなもと近く水ゆたかなり

  芦ノ湖をみなもととせる早川の流れにそそぐ湿原の水

  山肌に白煙立てり神山のを深むる晩秋の雲

  紅葉の木立をくれば芦ノ湖の渚ささやく冬の近きを

  芦ノ湖の渚にたてば左手に神山黒くえてゐたり

  早川のみなもとなれば芦ノ湖の尻の水門泡立つを見る

  葉を落とし真裸にたつヒメシャラの肌あからめて木枯が吹く

  紅葉の眼に染む色に声あげてロープウェイは谷越えゆけり

 

     遊行かぶき(続)   四首

  うるはしき阿弥陀如来のお膝元われら座りてかぶき見てゐる

  無念やな悲しやな父にたばかられ死装束の姫ゆらぎたつ

  黄泉がへり身体臭へる餓鬼阿弥に魂ゆすらるるわれならずやも

  荒魂をいとほしむがに黒雲の垂るる巷を念仏踊り

 

  しげしげと人体急所絵図を見るわれを叱りし父ならずやも

 

     アマリリス   五首

  アマリリス妻の買ひ来し球根はあさなあさなに茎を伸ばせり

  ひと茎に順番に咲くアマリリス三人姉妹の王女揃へり

  球根にやどる命をまざまざと見せて咲きたるアマリリスあはれ

  時いたり首うなだれてしほれたり茎おとろへし王女アマリリス

  アマリリス咲きて朽ちたる後の世のさみしからずやわが部屋の隅

 

  しなやかに強靱(きやうじん)なればイチローのバットにもなるコバノトネリコ

 

     神奈川   八首

  公園の楠の木立にむくどりのあまた泊まりて冬を逝かしむ

  玉楠の木は亭々とそびえたり日米和親条約の浜

  そびえ立つ玉楠の木をかき込めりペリー艦隊随行画家は

  鶴見川増水すれば吹かれけると呼ばれし水防

  鶴見川改修工事の成りし日に泥亀の句を詠みし人はや

  川上に向かひて浮かぶ水鳥の下に沈めるゴミのさまざま

  枯原の道に出で立ち文明が詠みにし鶴見臨港鉄道

  生麦の師走の風に佇みて文久二年の夏を思へり

 

     海鵜の岬   六首

  水仙の花咲く道をのぼりきて断崖に見る海鵜の岬

  あからひく朝の光に背を向けてウミウの群れは岩壁に立つ

  炯々(けいけい)と沖を見つめて動かざる黒き海鵜は僧のごとしも

  海底を覗く漁師の舟近くウミウは黒き首を立てたり

  箱めがねのぞきてたぐる竿と梶小舟かたむく海鵜の岬

  ペットボトル、蟹のむくろのころがりて何ごともなき黒き砂浜

 

  大湧谷吹雪と湯気に包まれて何も見えねば黒たまご食ぶ

  ロープウェイの音のみ聞こゆしんしんと杉の木立に雪ふりつめり

  雪降れば明星ヶ岳の雪男大の字に寝て神山を見る

  沈没をふせぐ手だてのはるけきに鳥もかよはぬ沖ノ鳥島

  行合川雨乞橋を渡るときひときは高きせせらぎの音

  春風に髪なびかせて波待てりサーフボードにまたがる少女

 

     早春の湘南   八首

  由比ヶ浜若宮大路が突き当たる「交通安全」祈願の石碑

  一字づつ石碑にしたる「観」「世」「音」佐藤栄作、県知事、市長

  大海に船出夢見し実朝が作らせし船 動かざりけり

  なまよみの甲斐にそびゆる活火山富士を眠らせ雪ふりつめり

  この磯に昭和天皇命名サメジマオトメウミウシは棲む

  千貫松なべて傾く境内にまゐられよ子宝石をさすりに

  むれ飛べる鷺の白さをまぶしみてしばしのけぞる朱(しゆ)のみそぎ橋

  アメリカンフットボールチームの高校生馬鈴薯のごとき顔並べたる

 

  おーい雲よそこから富士はどう見える菜の花畑のわれは呼びかく

 

     横須賀   七首

  日本の艦艇よりは重装備米海軍の戦艦が見ゆ

  三隻の巡洋艦の向かうにも空母キティホークは見えず

  米軍の基地に真向かひ置かれたる小栗忠順、ヴェルニーの像

  今となれば心もとなき大きさの戦艦「三笠」ひなたぼこせる

  金色の菊花の紋はひかりたり二度と動かぬ「三笠」の舳先

  猿島の砲台跡に佇みて米軍横須賀基地をわが見る

  断崖の木々をま白き死に染めて黒きウミウのコロニーはある

 

  黒猫のぴんと立てたる尾の先に朔太郎の詩の三日月は出づ

  清楚とは冷たさと知る手を伸ばし指に触れたるはくれんの花

 

     テロップ風に   七首

  ゲンゴロウの脚に学び落花生の根に学ぶ最先端の化学といへり

  グラミー賞五部門を獲る去年逝きしレイ・チャールズバリトンの声

  アラスカの永久凍土溶けはじめ三万年前の新微生物

  大手町「地下農場」を見学の小泉首相感極まれり

  同時テロ身元不明者四割のままに捜査は打ち切られたり

  総資産三十兆円を誇りとす中央信用金庫といふは

  平城京堀河跡に出土せり人面墨書土器

 

     人工の海   六首

  水槽のガラスに沿ひて我を見る目の縁赤き草河豚の子は

  青白きヘッドライトの潜航艇名を体したる箱河豚がくる

  九種類死滅回遊魚の中にハタタテハゼとサザナミヤツコ

  海と陸続いてゐれば海中に花を咲かせる草原がある

  名前とはうらはらにして小ぶりなり砂に首出す

  白砂にからだ埋めてコチが見る夢やすからむ春の海底

 

  春まつり今年もきたる江ノ島に白浪五人男を待てり

  和太鼓と津軽三味線からみあふ春江ノ島の白き燈台

  絶えて解く方程式のなかりせばましてしのばゆ因数分解

  鳶来たりポテトチップスつかみとる磯の香たかき春風の道

  ウェルニーの夢見る視線ブロンズの先にひらける浦賀水道

  十五秒おきに閃光白光のとどくうなさか十九海里

  走水ほむらのかたちなす歌碑にさがみのおののきみしのぶ歌

  昆陽の墓を探してさまよへば世界唯一の寄生虫

  寄生虫はエイリアンなりその顔のクローズアップにわれはをののく

  甘藷先生墓と自ら記したり墓の中なる青木昆陽

 

     入生田   五首

  たまきはるいのちなりけり水あぐる幹ふとぶとと大地に根ざす

  牙剥ける口に指入れ子が叫ぶニホンオオカミ模造剥製

  マメ科なるコームパッシア・エクセルサ ジャックといへど登りがたしも

  泡立ちて大気圏を堕ちにけむ穴あまた開く鉄の隕石

  片麻岩マグマの海の冷えて成る三十八億年に触れたり

 

  先輩の居眠り上手見習はむフレッシュマンはみなさう思ふ

  バツイチのふたりを前に印押せり年上妻も子には良けれと

  『明暗』も『こゝろ』もここに書きけると今に光れるの机

 

     造幣局通り抜け   五首

  梅田から東梅田へさまよひて文の里行き地下鉄に乗る

  垂れ下がる桜の枝に触れるなと日・中・韓・英のアナウンスあり

  枝ぶりは短く太し手弱女とふ名にふさはざる桜咲きたり

  ケータイに撮せる人らあまた寄る楊貴妃桜夜をにほへり

  ひときはにしだれて咲ける花ありて雨情枝垂の名札かかれり

 

  じりじりと首筋暑き温室に交配すすむブーゲンビリア

 

     対面石   八首

 

  郁子(むべ)の木の若葉の風に吹かれゐつ山並かすむ函南の空

  つつましき桜並木の参道の奥に鎮まる対面(たいめん)石(せき)は

  頼朝が囓りて捨てし渋柿の種は芽吹けり捻り柿といふ

  白々と横たはる富士川の土手に座りていにしへ思ふ

  逢坂の関を越えけり維盛はに入れて

  水鳥の一度にぱつと立ちたれば飛沫にけぶる川の葦群

  階段に座りて待てる舞(まひ)殿(でん)の「静の舞」は午後三時から

  泉流泉さちよの奉納の「静の舞」に散る山桜

 

  一夜城積みなる石垣にその名残せり近江穴太衆

 

     工作船展示館   六首

  工作船展示館に見る赤錆の船首船尾の暗き弾痕

  荒波の海に撃ちたる銃弾は船首船尾に的中したり

  銃撃に火の手あがれば毛布もて火を消さむとす 黒き人影

  星印ボタン付けたる防寒着 名ばかりにしてとても貧しき

  金日成(キム・イルソン)バッジを着けて自爆せし工作員を誰か悲しむ

  工作船展示館には熟年の人ばかりなる五月連休

 

  吹き下ろす一陣の風さざなみの皺に曇れる春田の水面

  青銅の棺の継ぎ目見当たらず猫のミイラを納めしといふ

  声若き読経聞こゆる長谷寺の山になだるるあぢさゐの花

 

     題詠「おぼろ月」

  残業の火気当番を終へて出づおぼろ月夜の工場の門

 

     日本海海戦百周年   八首

  見上ぐれば風のマストにひるがへるZ旗まぶし「三笠」甲板

  金箔の剥げすざまじき菊花紋かつて光りし「三笠」の艦首

  身をよぢるごとき墨痕「我何のあつてを看(み)ん」と

  「山静似太古日長如小年」 海軍中将・秋山真之

  滄海に鯨を制すと比喩したり海軍大臣山本権兵衛

  建国の熱きこころを書に残す気はづかしくも見つむる我は

  動かざる「三笠」を横に唄ひをり赤きドレスの早風美里

  ふるさとの地名つけたる戦艦を失ひしとき国敗れたり

 

  土竉の中落石に蓋はれて石仏ひとつ壁際に立つ

  「先生」と「私」がはじめて出会ひしは由比ヶ浜なり『こゝろ』の場面

  漱石の胃病痔疾の放屁なれ破障子の風に鳴る音

  アルテシモ深紅の薔薇の垣根越し文学館の青き屋根見ゆ

  貝殻のあまた光れる虫籠を持ちて母子が江ノ電に行く

  白足袋に赤き鼻緒の雪駄はく足柄ささら踊りの浴衣

  戦役のすぐれものなる征露丸いま正露丸わが常備薬

  精密にして丈夫なるメカニズム魚雷自沈装置光れり

  軍医森脚気細菌説を言ひ米麦混食を採用せざりき

  軍服の右首あたり裂けて無し二十五ミリの機関砲弾

  英霊に捧げられたる錦鯉神池に群れて餌を取り合ふ

  密輸され空港税関に保護されしインドホシガメ行くあてのなき

 

     荒川   八首

  上流と下流の見分けつかざらむとまりて見ゆるゆたかなる水

  荒川とここに分かるる隅田川中洲くさむら葦雀(よしきり)の啼く

  荒ぶれる川なだめ来し歳月の赤き水門青き水門

  岩淵の赤き水門をわれも見る摂政宮殿下御野立之跡

  釣り人の一人が持てる釣竿の四、五本並ぶよしきりの声

  にごりたる暗き水面に浮かびくるうろこ付けたる生き物の口

  河川敷球場に巣を作れるか球児の空に雲雀啼くなり

  安全なる保育器として二枚貝鰓にはぐくむタナゴのたまご

 

     洞窟   五首

  らふそくをして仰ぐ闇ふかき石窟奥の厄除大師

  天井に三つ蝙蝠はりつけり水子の霊と知りてさしぐむ

  金剛界曼荼羅窟に入りたれば梵字に見ゆる菩薩と如来

  行者道わが靴音の止みたれば奥にひびかふしたたりの音

  胡散臭きわが信心を見破るか走り出できてにらむ黒猫

 

  撒かれたる菓子をめぐりて争へる鳩を怖れてをさな児が泣く

  みどりなす風がささやく円覚寺惚けたる母にやさしくあれと

  篝火(かがりび)の炎ふくらむ時に見ゆ魚吐き出す鵜(う)の長き首

  蛇骨川石風呂ありてそのかみの兵ねぎらひし熱き湯の湧く

 

     みなとみらい   八首

  ふたたびの航海あらじ帆柱に帆をたたみたる日本丸はや

  梅雨空に浮かびてひとりさびしめる大観覧車の最高地点

  なにごとののべむと乗りしかどただにめぐりし大観覧車

  風船の紐の束もちたたずめる乙女は空に消ゆべきものを

  「海龍」とふ中華模様に彩られ水上バスは運河にうかぶ

  四川省自貢市にあまた横たはる恐竜の群ジュラ紀の地層

  高木の大山舗の森葉をはみて首のゆらめく天府峨眉竜(オメイサウルス)

  恐竜の卵化石は焼き上げしパンのごとしもほこほこ並ぶ

 

     湖畔   五首

  黒玉子一つ食ぶれば七年は寿命延ぶると妻二つ食ぶ

  ひばの木の天辺に啼く夏鳥の声の涼しき姥子温泉

  ひぐらしの鳴きやみたれば鶯の声しきりなる宿の裏山

  夕されば霧たちこむる芦ノ湖に海賊船は明りを点す

  霧ふかき湖畔の森にさまざまの小鳥啼くなりいのちの朝を

  狂言(たはごと)か逆言(およづれごと)か暗闇にわれは叫びて妻を起たしむ

  酸漿(ほほづき)と秋海棠(しうかいだう)を避けて刈る日向薬師の草刈の鎌

  大井川蓬莱橋を渡りゆく手を携へし老婆がふたり

 

     六十年   八首

  二百数十万の御霊を迎へむと提灯あまた境内に吊る

  南方に散りし御霊の宿るらむ持ち帰り来し戦跡の石

  三歳の子にその父の遺言を聞かす祖父母のこころ知るべし

  白鳩と土鳩交はる境内に散りてかなしき白鳩の羽根

  碑(いしぶみ)のパール判事と共に待つ理性が虚偽の仮面剥ぐとき

  孫のため金平糖をつまみだす手にはだらなす老人の染み

  長ければ途中で止めし小説の『亡国のイージス』映像に見る

  炎熱の山野にゆくを見合はせて映画館に入る涼しかりけり

 

     哺乳類   六首

  美しき縞の背腹の波うてりスマトラトラは暑さにあへぐ

  食肉目ネコ科のインドライオンの踊り始まるアナウンスあり

  猿ならねセスヂキノボリカンガルー暑さのゆゑか呆と固まる

  文明に飼はれて人目気にせざり愛を交はせるオカピの夫婦

  後足に立てば人気のでるものを眠れる此処のレッサーパンダ

  禁断の肌をハワイにさらしたる若き女優の愛国白書

 

  一本の榎立ちたる山頂の青き芝生をキチキチが跳ぶ

  首ふりの常ならざれば落ちにけりほの吹く風にささゆりの花

  大いなる黄なる南瓜が店先にあまた並びてむふむふ笑ふ

  幸(かう)若(わか)の謡(うたひ)ひびかふ長良川かがり火はじけ鵜舟くだりく

  会得せし桂小五郎の逃げ上手神道無念流極意のひとつ

  技の千葉力の斉藤格の桃井桃井門下の人斬り以蔵

  幕末になほも磨きし剣の腕明治維新の気迫といはむ

  新しき献花ありたり黒ずめる生麦事件犠牲者の墓

  レンガ井戸遺構覗けば蕭々とフランス山に秋風が吹く

  青き頭蓋と透けたる衣震はせてここを先途とみんみんが鳴く

  扇風機背負へるさまにバリバリと空をとびくるハングライダー

  照り返すテトラポッドの秋の陽に蝙蝠傘をさして魚釣る

 

     吾妻山   五首

  散りぼへる青き梢を踏みしだきのぼり着きたり浅間神社

  台風をまともに受けし山頂に榎木は立てりゆるがざりけり

  海神のいけにへとして入水せし姫を思ひて富士は黒ずむ

  吾妻宮奥に秘するは入水せし弟橘媛の小袖なるらし

  一山をゆるがす蝉の声なれば汗噴きやまぬ二宮の駅

 

  東京の地酒も売れる陶器市に信楽焼きのぐひ呑みを買ふ

  わたり來しはるけき空を思ふらむ鴨の憩へる芦刈小舟

  谷戸深くどんぐり踏めば大いなるやぐらの闇に蝋燭ともる

  きやうだいが少しづつ食べ母が食みが終ふ駅弁ひとつ

  万葉の歌碑読みてゆく狩川の奥処に丸き矢倉岳見ゆ

  ちぎれたる蛇の屍のひらたきが赤く滲める足柄古道

  病床に草花描きし子規思ひわが秋をゆく足柄古道

  軒先に幣はりわたす大通り太鼓たたきて神輿が通る

  なにごとか起こるを期して入りゆけり食事喫茶の「鎌倉夫人」

 

     遺書   八首

  浮かびきて水面の落葉吸ひ込めるおほき緋鯉のまなこ濡れたり

  掲示には御製とならび遺書ありて一撃必中あるのみといふ

  ただ國のために死ねるを最大の光栄といふ 家族への遺書

  一度家に帰る考へふりすてて海軍少尉神風に乗る

  御霊屋にとどけとばかりはりあぐる声ひびわれて「白虎隊」はや

  秋晴れの礼拝殿の入り口に二流垂れたる錦の御旗

  丹精の盆栽ならびひさかたの光まとへる黄菊白菊

  相撲場は立入禁止四つに組む国技の像にもみぢ映れり

 

戦艦「三笠」