天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十八年「予科練」

  予科練の曲を奏ずる老夫婦アコーディオン弾きタンバリン打つ

  人だかりして動かざり藍ふかき冨嶽三十六景の前

 

     同窓会   八首

  次々にトンネルに入りて味気なし車窓に映る乗客の顔

  鋭角に空をつきさす神山を仰ぎて食ぶる黒玉子かな

  枯葉しく山路をくれば何鳥か鋭(と)き声あぐるたかむらの中

  先に逝きし友の死因を語り合ふ 若かりし日のタバコのみすぎ

  おほかたは病のことに終始せり部屋に集へる十人の友

  集ふたび同じ話題をくり返す同窓会に今日をやすらぐ

  明けちかき遠野の原に目覚めけり野鴨の声のはつか聞こゆる

  うつぶせにベッドに寝ねて耳すます湯上り後の心臓の音

 

     晩秋   六首

  肩に刺すインフルエンザの注射針ちくりともせず効き目うたがふ

  のこる世をここに過ごさばやすからむ光おだしき浜名湖の秋

  ケイタイを見つつしゆくは一本のバナナ握れる猿にかも似る

  所在なき秋の夜更けをながむれば駅のホームに煙草が点る

  窓外の闇に映れるわが顔に愛想尽きたりカーテンを引く

  咳止めの飴(あめ)切るまねの店員が俎板(まないた)たたく参道の春

 

  百歳を生くるインコのともしきろ動物園の坂につまづく

  氷川丸つなぎとめたる鋼索に朱き足並めかもめつらなる

 

     もみぢ狩   八首

  黄葉の時に差のあり境内の銀杏並木を見上げつつゆく

  料亭が買ふのだらうか公園の銅像下に干せる銀杏(ぎんなん)

  満員のバスに揺らるる伊勢原の道の奥なる大山もみぢ

  独楽の絵をかぞへてのぼる参道の両側に立つ猪鍋(ししなべ)の店

  鬱ふかき杉の木立にあかるめる黄葉の木のありがたきかも

  おほいなる柿をさげくる老人は長生きすらむ耀ける顔

  小春日の眠たき昼を虫食ひのさくら黄葉が音たてて散る

  いつせいにさくらもみぢの落ちたれば空をにはかに風過ぎるらし

 

  この先の春をかぞふるわが腕に生れしばかりのいのちかなしも

  手に足に原始の鳥の記憶あり顔は未来の人のかがやき

  フェルメールあるいは聖観音がよき赤子見つむる壁の貼り絵に

  自動車を停めて吹きゐるハーモニカかなしく聞こゆ朝光(あさかげ)の中

  たたかひのありし記憶のかぎろひか夕陽が沈む長久手の丘

  盃に大きく息を吹きかけて投げつけにけり厄割り石に

  足元に盲導犬を押し込めて新幹線は年の瀬をゆく

  日曜の御粥神事を待つばかり笹竹ぬらす春の霧雨

  膝の上の袋に入りて顔出せる白き子犬が大欠伸せり

 

     大磯   八首

  大磯の裏山ゆけば春ちかし小さき祠に九尾のきつね

  鳥さへも近づけまいにトゲトゲのシナヒイラギは朱き実をもつ

  大磯の城山にありし財閥の別荘跡をうらやむ我は

  大磯の血洗橋に佇みて吉田茂の宅地跡見る

  潮騒に身を洗はれて歩きけむステッキつきしこゆるぎの浜

  余呂伎(よろぎ)とは波の動揺大磯の浜に座りていにしへ偲ぶ

  うすみどり春の香はこぶ潮風に襟立ててゆく小淘綾(こゆるぎ)の浜

  如月の雑木林に鳥むれて声にぎはしく春告ぐるなり

 

     手紙   五首

  特攻の武運に恵まれざりければ帰還せしこと手紙に書けり

  特攻の前線基地でしたたむる神機到来を元気に待つと

  前線にありて長生きせしゆゑに大尉に進級せしと自嘲す

  しかし神機は刻々近づきつつありと陸軍大尉の手紙はつづく

  昼時の耳目あつめて高らかに軍歌ふりまく靖国通り

 

  梅林の梢つぼめる下曽我の田に坐り見る流鏑馬神事

  梅林の花まちどほし流鏑馬の土けむりたつ下曽我の野辺

 

     如月   八首

  妻と子のことのみ書ける遺書なれば最後の日まで開封すなと

  特設潜水母艦率ゐて散りにけりトラック諸島北西洋上

  連れ添ひし妻への遺書の短きにさしぐみあゆむ靖国の庭

  あかときの坐禅終はりし方丈にひときは高き賽銭の音

  時くれば固きつぼみの梅ヶ枝は咲きにほふらむ墓前に捧ぐ

  この国の蒙をひらきし哲人の墓をめぐりぬ北鎌倉に

  歌謡ショウ舞台の歌手を見まもれる熱海温泉郷の半纏(はんてん)

  早咲きの梅めでて聞く歌謡ショウ “泣いて私の首筋かむの ”

 

  スジャータとふ乳製品のかぐはしも仏陀に乳をささげし娘

 

     立春   五首

  鹿出でて危険と書ける立札を見つつしのぼる大山の道

  九十九折山路のぼれば空あきて白装束の不二立てり見ゆ

  岩つかみ亭々と立つ樅の木の肌にふれたるわが命かな

  白鷺の歩み見つめて動かざる黒猫の背のまさに平たく

  横笛(わうてき)に篳篥(ひちりき)、太鼓、笛、鞨鼓(かつこ) 五人囃子はみな美少年

 

  結婚後二ヶ月を経て戦死せし海軍少佐の遺書をもらひ来

  虫食ひの穴あまたあく弓弦葉のむかうの空にヒヨドリが飛ぶ

  つぼみなす緋寒桜の幹に垂る高砲二十二聯隊の札

 

     弥生   八首

  裾あをむ白装束の富士の峰突然変異のごとく聳ゆる

  磯釣りの釣果はいかに身をかがめイソヒヨドリは岩場を翔る

  待ちきれず下がりし株を売りしかば失ふことのさみしさを知る

  家康の命につくりし一里塚石碑ひとつに跡をとどむる

  網越しに春はきたると啼き交はすツル目ツル科ホオカザリツル

  中国産竹の林はあたたかき日本の春の風にさゆらぐ

  何の木と問ふ 解の札開けたれば日向水木の花かがやけり

  カチャーシー手の振る舞ひにあらはるる男をどりと女をどりと

 

  谷戸拓き移築になりし古民家にただれて咲ける赤き満作

  里山を公園となす開拓のとどめがたしも建物の群

  建物の押し寄せたればさびしもよかつて歩きし山の辺の道

  遠き日の子をあそばせしレンゲ田にふるさと村の虹の家建つ

  飛行機の通り道なり梅の枝につぎつぎかかる雲の航跡

  山頂までまだ一時間はと教へればもう帰ろうと騒ぐをみな等

  やはらかに柳あをみて蔭なせり予科練同期生の札かかりたる

  池の上の高き梢に身じろがぬコサギは突如ものを落とせり

  幣辛夷うすむらさきに咲きにけり正座に耐ふる写経の男女

  海流に乗り来し種子の芽吹きけむハマヒルガオの茎長く這ふ

  発掘の本丸跡に佇めり細川ガラシャと忠興の像

  新緑の木々にふる雨やみたれば花咲くごとし白蛾の群は

 

     卯月   八首

  参道にま四角く黒く立ちてをり明治の郵便差出箱は

  元僧を葬りし塔の傾きて台湾栗鼠の山かしましき

  ビヤクシンの木蔭に開く『父・白秋と私』まぶし椋鳥の声

  藤棚の藤の花ふさ垂れたれば色香に狂ふ蜜蜂の群

  引潮の浦の岩場にはりつけり天草摘める茶髪の老婆

  良心の墓場と書ける看板のかかりて暗き道の辺の森

  みぎひだり下りればふるき石切場真鶴岬の尾根道をゆく

  石切場跡に自動車とどめ置き岩場に伸ぶる磯釣りの竿

 

     賀茂の春   六首

  霧雨にけぶる河原の草もえて桜並木は花の賀茂川

  上賀茂の馬場の白砂雨にぬれあかく枝垂るる斎王桜

  うすあかき花咲く杜にまつられて別雷大神(わけいかづちのおほかみ)ゐます

  楢の木の森を流るる川なればならの小川と呼ばれたりけり

  婚礼の人らみちびき巫女きたる神社の庭に花の雨降る

  車曳く牛の臭ひに香まじり御簾の陰なる衣擦の音

 

  居眠れる母にもたれてをさな児はひとり話せりあかるき車窓

  わくらばの落葉散り敷く参道にうすうす点る三つ献灯

  長雨にけだるき身体もてあまし今宵また呑む芋焼酎

 

     五月   八首

  穴熊の夫婦寄り添ひふるへをり檻を濡らせる春の長雨

  引潮の浜に二艘を引き上ぐる湘南アウトリガー・カヌー・クラブは

  璽霊山高地の石をつくづくと児玉神社の境内に見る

  入港のヨット迎へて尾を振れりビーグル犬の白き尾の先

  もののふの滅びし寺の址に飛ぶたんぽぽの絮黒き鳥影

  「投げ入れし剣の光あらはれて」 松の木立にすめろぎの歌

  うつ向きて読みゐし本を閉ぢたればむかひの席の膝なまなまし

  しめやかにをみなあゆめり霧ふかき修験の道を黒揚羽とぶ

 

     五月連休   五首

  白々と葉裏かへしてざわめける竹群すぎて木津川わたる

  吉野山中千本の湯に浸る欅若葉の中の三日月

  本能寺の変の戦死者慰霊碑に森蘭丸の名のあるあはれ

  草むらの獲物狙へる鷲の図に余白は多し武蔵の筆の

  緊急の場合城主が脱出すここ埋門(うづみもん)木曽路へ通ず

 

  睡蓮の池の水面に波立てて緋鯉真鯉の背びれゆきかふ

  草生(む)せる代官坂の崖際に「日本バプテスト発祥之地」は

  欣然と死地に赴く末つ子の候文のかなしかりけり

 

     水無月   八首

  裏返る手首の骨の折れたればゴジラはしばし入浴できぬ

  大山も富士もかくれて朦朧たり相模の小野に湧きたてる靄

  遊行寺の黒門くぐる夕暮に板割浅太郎の墓見つけたり

  玉なして谷戸に咲きそむ白の上に青うすづけるあぢさゐの花

  アパートの壁迫りたりまばらなる木立の蔭の時頼の墓

  紫陽花の粋をもとめてたもとほる雨の長谷寺極楽寺

  戦場の記憶うすれて錆つけり軍犬軍馬鳩の慰霊碑

  桑の木の息吹に立てる裸婦像の腰の肉付き見れば苦しも

 

  パスカリはベルギー生まれ四季咲きの白く匂へる大輪の花

  蠅来たり花の匂ひに酔ひしるるドイツ生まれの薔薇 サン・スプリット

  「のぞみ」とふ日本生れのつるばらのミニチュア置けり 持ち去らないで!

  開拓の粗暴なる手が追ひ詰めし生田緑地の古民家の群

  足柄の水音高き農道を地図もて歩くあぢさゐ祭

  朝採りのま竹の子売るあしがらの水音高きあぢさゐまつり

  清左衛門地獄と呼べり湧水の浮(うけの)泉(いづみ)の高き水音

  青銅の裸婦像立てりみどりなす桑の葉むれの息吹をあびて

  わがむかふ机の窓に夜毎くる守宮は白き腹みせてをり

  灌漑の池を拓きて許されし苗字帯刀三好善兵衛

 

     人体標本   八首

  手術器具さまざま付けて直立すからだ裂かれし人の標本

  胸腹部内臓見する標本の腰より垂るるペニス睾丸

  おほいなる脳の食欲みたすべし頭蓋包める血管の網

  骨格系循環器系神経系筋系四体縦列に立つ

  弓を引く人の全身骨格筋 きのう食うべし鮭とばの色

  右の手に持ち上げてみる脳標本少し湿りて一キロあまり

  わが前にゆうるり廻る 肺黒き人より取りし胸腹部臓器

  されかうべ見下ろして立つ骸骨のまなざしやさし虚ろなれども

 

  大空に花火ひらきてをさな児の顔かがやけりはじめての夏

  高貴なるかをりなりけり庭垣を人ふりかへる梔子の花

  日本の夕陽を撮りし写真展東京駅をくれなゐに染め

  海荒るる腰越に買ふ看板のたたみいわしと釜あげしらす

  江ノ電の鉄路に向かふ店先にキビナゴ干せり腰越通り

  汗臭く布団の上に横たはる洗濯前のわれの抜け殻

  わが前に双子のをみな座りたり見比べたればふたりとも笑む

  ラグーナとふホテル出でくる自動車の若き男女をうらやむなゆめ

 

     葉月   八首

  ワンカップ片手につまむたこ焼を猫にも食はす夫婦なりけり

  風鈴をあまた吊るせる店先に買はず佇むわれならなくに

  小田急鵠沼海岸駅に下りいざ海を見むビーチサンダル

  砂に足とられてころぶ嬌声のビーチバレーのコートなりけり

  青年のこぶしに鳩の像あれば翼に鴉二羽きてとまる

  海底にもぐりゆくらし身をそらし片手に鯛を抱ける少女

  半跏思惟弁財天の膝の上の琵琶鳴り出づる噴水の池

  ビニールの羽根たててくるサーファのばさと倒るる江ノ島の海

 

  十年に一度は見るか変異種の紅筋山百合まぼろしの花

  くれなゐを蕾にかくし眠りたりニンファエア・ルブラ 夜咲きの性

  うす青き花が囲める黄の蘂のニンファエア・コロラータ 昼咲きの性

  通勤の朝をはげますごとく咲く駅のはづれのグラジオラスは

 

     長月   八首

  魂の吸ひ込まれたる空澄みて美しかりき ビル崩壊す

  海水を飲みに飛来すアオバトを待ちてかまへる望遠レンズ 

  キラキラと子鰯釣れる大磯の埠頭に立ちて夏を惜しめり

  沿道に笑顔向けたるご一家にきびしかりけり残暑の日差し

  青き目の女がつかふ割箸をしばし見てゐつ不忍池

  ダリの顔上野の森に現れて壁に貼り付く つくつく法師

  広重の名所図絵にも描かれたり弁財天のの洞窟

  無患子(むくろじ)の風にふかるる本堂に地蔵和讃をながめてゐたり

 

     遺書掲示   四首

  航空軍司令部所属の十七歳マニラ南方海上に死す

  幾人が梢に咲きて会ひにけむ半身不随の空挺桜

  月々の掲示さみしも類型の兵士の遺書とすめろぎの歌

  すめろぎに命ささげて悔いざりし兵の御魂を誰か鎮めむ

 

  道の辺に疲れたる身をやすめてはおゆびに移す月草の色

  走りくる雲より高き雲ありて動かざりけり早雲山に

 

     神無月   七首

  旱魃に苦しむ村を救ひしと「日蓮水」の石碑立つ井戸

  もののふの万騎が越えし巨福呂の坂ふさがれて曼珠沙華咲く

  旅人が無事に峠を越ゆるやう抱き合ふ双身歓喜天はや

  腰つよく花のおもさに耐へてをりどこか明るきあすかの萩は

  秋雨の江ノ島にわが覗き込むアポロ宇宙船スカイラブ三号

  縁遠くなるばかりと言ひ墓洗ふ鵙高啼ける鎌倉の谷戸

  渚辺を素足にあるく早乙女のふたりが残す小さき足跡

 

     川   五首

  釣り糸を垂れて食うぶる握り飯クルーザ持たぬ若き夫婦は

  ふた竿のウキ見てすごす日曜日横のラジオが演歌を流す

  川縁に聞くのど自慢鉦ひとつ「川の流れのように」で終る

  釣り人のウキみてをれど釣れざれば首をほぐしていざ帰りなむ

  釣舟の釣果の魚拓壁にかけ河口の店は客をいざなふ

 

     山林慕情   三十首

  境界を刈り払へといふ通達が安芸高田市から横浜へくる

  隣人も困ることなき山林の境界強ひて定めむとする

  二万五千分の一の地図買ひきたりわが山林のあり処確かむ

  老人に刈り払ひは無理となげかへどにべもなかりき市の職員は

  測量の費用を想へばもつたいな不要不急の地籍調査は

  松茸をとる人もなし猪のほしいままなるわが松林

  台風の近づく雨を気にしつつ明日の旅路のねむりにつけり

  広島行き「のぞみ」の席に居眠れば夢にうるはしふるさとの山

  芸備線広島駅に熱風の吹けばしのばゆピカドンの日を

  カーテンを車窓にひきて女生徒は二次不等式をわが横に解く

  芸備線二両電車に揺られきて声なつかしき「次は甲立」

  十五年ぶりに訪ひ来しふるさとは夏の日差しにしんと静もる

  父祖の墓わが生れし家はるかなり今は通はぬふるさとのバス

  ひび割れし舗装道路をうねうねとわれを運べる田舎タクシー

  まだ青き稲田に降りる白鷺の白をまぶしむ帰郷なりけり

  少年期うなぎなまづを釣りし川丸太の橋はすでに架からず

  山林のとなりあひたる家族らが老いて集へり境界のため

  集ひしは老人ばかり神経痛心臓疾患なにがしか持つ

  老いたれば手に余ることなげかひて顔見合はする農家縁側

  筍を掘らずなりたる竹林の勢力ははや山の中腹

  大鋏もちて踏み込む山の辺の藪の高きにはや挫けたり

  境界の目印の木はイガンブロ赤きテープを巻きて張りゆく

  老人の記憶を当てに境界を定めつつゆく山林の藪

  今回はほんの一部の調査なり残り想へば気が遠くなる

  虫食ひの赤松多き山林をもちてかなしむわれならなくに

  新しき墓山の辺に道の辺にかがよふばかり人気なき村

  分きざみランプなかなか移らぬをサウナにうめく倶利迦羅紋紋

  湯の後の汗ををさめむひや酒は地元で造る「うつぷんばらし」

  あからひく朝の日差しの草叢に秋たちしこと告ぐる虫の音

  月読の明かりに寝息たてをらむわが山林の月の輪熊は

 

アコーディオン