天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

藤沢宿風物詩

広重の藤沢宿

 江戸時代、宿場の旅籠屋では給仕をする女として飯盛女公認されていたが、これは多分に遊女として奉仕を期待するものであった。飯盛女のいる旅籠は繁盛した。藤沢宿には旅籠が49軒あり、うち27軒が飯盛女をかかえていた。一軒に二人ずつ置かれた。永勝寺の小松屋の墓域には、小松屋が抱えた飯盛女の墓が39基ある。無縁仏にされるのが普通であった時代なので、小松屋の措置は褒められたという。


     掘り起こす土にゆらげる尾花かな
     ゑのころの花穂かがやける朝日かな
     神無月天地映せる真澄鏡
     秋風や飯盛女の墓を訪ふ
     冬立つと田野に知らす雉のこゑ

     
  北風に尾花吹かれて黄の花のセイタカアワダチソウ
  触れたり


  神無月白旗神社のいしづへに朝影おとすつはぶきの花
  弁慶の力を得むと撫でらるる石ひとつあり欅の杜に
  義経の御霊祀りて鎮もれる欅の杜の白旗神社
  アパートのはざまにありて史跡なる義経公の首洗井戸
  いづこより客の来るらむマンションの一階にあり
  富士見湯といふ


  乙女にて売られ故郷を去りし身は死して無縁の仏となりぬ
  藤沢宿松屋主人源蔵が飯盛女の墓を作れり