天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

紫苑

今日は午後一時から短歌人・横浜歌会。例によって昼前の時間を円覚寺で過ごす。松嶺院が開いていたので、百円払って庭に入った。あちこちに萩が咲いている。見て歩いているうちに気づいたのだが、いろいろな種類がある。みやぎの萩、あすかの萩、赤花萩、光…

ずらし・ねじれ

短歌における上句から下句への接続状態について考える。 和歌の時代から、上句で情景を下句で心情を述べる技法があり、連歌、連句は、上句と下句をそれぞれ別の人が詠んで歌仙を楽しむという文芸である。先週のブログから例をとろう。 先ず、連歌の例。 新治…

巨福呂坂

どうにも信じられない。中世の軍記物『太平記』の「鎌倉合戦の事」に書かれている切通しのことである。新田義貞の軍勢が鎌倉に攻め入る場面に、 「・・・東(とう)八箇国の武士ども、従ひ付く事雲霞の如し。・・・六十万七千騎とぞしるせる。ここにてこの勢を…

『縄文紀』

短歌研究社の「前登志夫歌集」をバッグに入れて、電車の中で、公園のベンチで、折に触れ読んでいる。最近の歌集から古い方へ順にさかのぼって見ている。現在は『縄文紀』抄にさしかかっているが、記紀歌謡の言葉の引用が目立つ。記紀歌謡とは、『古事記』『…

江戸俳諧

正岡子規が分類し俳句革新の素材とした江戸俳諧の全体を知りたいと思って、適切な本を探しているのだが、まだ入手できていない。ともかくということで、インターネットで『江戸俳諧にしひがし』という本を購入して読み始めた。詩人の飯島耕一と俳人の加藤郁…

十六夜日記の真実

岩波文庫の玉井幸助校訂『十六夜日記』についている「十六夜日記解題」と「阿佛尼傳」を読んで、いにしえの真実を知ることの困難さを改めて感じる。何種類かの写本を元に事実を推理するしかないのだが。そのひとつに、阿佛尼は鎌倉で亡くなったのではなく、…

名越切通し

鎌倉七切通しのひとつ「名越切通し」に行ってきた。鎌倉と逗子をつなぐトンネルの上を通っている。わずかな距離であるが、国指定の史跡になっている。ただ、化粧坂と同様、当時でも荷駄はとても通れなかったであろう。大変な急勾配であり、道の真ん中に大き…

丸太の森

万葉時代の植物と現代の植物と同じなのかどうかが気になっている。今日訪ねた南足柄の丸太の森には、万葉の草木を植えて丁寧にも名札やそれを詠んだ万葉の歌を書いて紹介している。その中に彼岸花について、壱師(いちし)という名であったと説明があり、巻十…

御幸ノ浜

明日土曜日が祝日なので、会社は今日金曜日を休日にした。振り替え休日などとったので、今週は全部休みになった。夏休みが中途半端だったので、その代わりと思っている。だが、近くにはもう行くところがない。 小田原城、小田原文学館、御幸ノ浜、また小田原…

三浦按針

本名はウイリアム・アダムスという英国人。1564年イギリスのケント州ジリンガムで生まれた。少年時代の十二年間を造船工として働き、成長して海軍に入った。のちにオランダのファン・ハーヘン会社の東洋探検隊に参加し、リーフデ号の航海長として、1598年に…

箱根・堂ヶ島

昨日から今日へかけて一泊二日で箱根に遊んだ。世の中の休日をはずしているので、観光地は閑散としていると思ってきたのだが、箱根は違った。日本人以外に中国韓国からの観光客が目立った。 初日は、強羅、早雲山、大涌谷、桃源台、仙石原、宮ノ下と巡った。…

母と子

阿佛尼(〜1283)とその実子冷泉爲相(1263〜1328)のことである。阿佛尼は鎌倉時代の歌人であるが、安嘉門院に仕えて四条と称した。後、藤原定家の息子の爲家の側室となり、冷泉家の祖となる爲相を産む。爲相に属すべき和歌所の所領播摩細川庄を、異母兄の爲氏…

面掛け行列

その昔鎌倉近辺には、大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉という平氏五家があった。これら五祖を祀る神社として五霊神社が建てられたが、後、勇猛でならした鎌倉権五郎景政だけを祀るようになり、通称権五郎神社と呼ばれるようになった。そして、いつの頃からか、…

アニミズムの観点

短歌を読み解く際に必要な知識は、レトリックだけではない。作品が作られた時代状況、社会現象、文化などを知っておくことである。例えば、万葉集の鑑賞の仕方。『和歌の本質と表現』(勉誠社)の中で、岡野弘彦は、庶物霊信仰(アニミズム)の観点を強調し…

曼珠沙華

彼岸花の咲き出す早さには、目を見張るものがある。テレビがどこそこで咲いていると告げても身近で見かけないとピンとこないが、気づいたときはもう咲いている。今日がまさにその日であった。流鏑馬を見に出かけた鎌倉では、赤、白、黄色の彼岸花に出会った…

口語俳句

口語短歌のことは述べたが、俳句についてはどうか。字数が半分であることで、違いがどう現れるか。短歌の場合は、切れが明確でないと散文になるが、切れがはっきりすると短歌らしさは残る。 俳句の場合は、切れがはっきりしても、字数が少ない分、片言で幼稚…

和歌のレトリック

『和歌の本質と表現』(勉誠社)は、いくつかのテーマにつき、それぞれの著者が書いているのだが、読んでいて不満を感じる。腹立たしいところもある。それについては、一巻を読み終わってから触れることにして、今日は尼ケ崎彬「和歌のレトリック」の外形を…

百日紅

夏の花である百日紅が、その名に違わずまだ咲いている。七、八、九月と百日間を咲きとおすのだ。そのすべすべした木肌は、猿でもすべるほどというところからか、「さるすべり」とも言うが、肌が似通っている点では、ヒメシャラもさるすべりという。百日紅は…

膨張する短歌宇宙

和歌・短歌は、わずか31文字の短詩型ながら、新しい表現方法が生み出されているため、短歌作品からなる宇宙は、いまだに膨張を続けている。 古事記時代からの五、七、五、七、七の韻律、リフレイン、万葉集時代の枕詞、古今集時代の序詞、掛詞、新古今集時…

文語と口語のミックス短歌

角川「短歌」九月号で、「短歌における口語体と文語体」という特集を掲載している。自分の都合のいいように大雑把にメモしておく。 A.口語歌 生れは甲州鶯宿峠に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ 山崎放代 飲みかけのジンジャエールと書きかけの…

短歌人・東京歌会

昼前に上野に出かけたが、不忍池を巡ると残暑の日射しに気が遠くなるほどであった。 パン屑を撒きて手招く水の秋 パン屑に亀もよりくる水の秋 パン屑に大いなる口水の秋 ザリガニが水面に跳ぬる残暑かな くるま座に擂鉢山の蝉しぐれ 青みどろ上野の池をさは…

秋桜

コスモスの季節になった。メキシコ原産のキク科の一年草。日本には幕末に種子が入り、明治になって秋桜の名がついたという。白、ピンク、紅などの色がある。コスモスは、「飾り」という意味のギリシャ語。草花なのに木に咲く桜の花とどういう関係があるのか…

『憂春』(2)

この歌集を読み終えた。やはり一番印象に残ったのは、小島ゆかりの独自の措辞や比喩の卓抜さであった。先にあげた例の続きをあげておく。 思はねばパレスチナいま無きごとし煮え湯のやうな夏のかげろふ 吹き晴れてなほゆたかなる風の房 山鳥のごとく秋は来に…

助詞「を」の用法

現代短歌においても助詞「を」の使い方・使われ方については、文法面からよく確認しておくことが、作歌の点でも鑑賞の上からも大切である。 先ず、三省堂の国語辞典から要約しておこう。1.格助詞「を」: 体言またはそれに準ずる語に付く。 ①動作・作用の…

萩の花

鎌倉では、早くも萩の花が咲き始めた。萩はかつて栄えた都や幕府の跡に似合う。奈良の白毫寺の萩も圧巻であったが、萩は鎌倉に一番似合うように感じる。萩の寺とまで呼ばれている宝戒寺はもとより、長谷寺、海蔵寺など趣がある。そんなわけで今日は一番に宝…

『憂春』(1)

小島ゆかりの歌集『憂春』を読んでいる。まだ半ばであるが、目立つ手法を二、三あげよう。 1.上句から下句への展開、あるいはコラージュ こんりんざい人の心はわからぬをはるかに白し山ほふしの花 *この「を」は、間投助詞で詠嘆を表す。言いさしになって…

左様奈良

九月に入った。靖国神社の拝殿社頭掲示を見に行く。パンフレットには、大正天皇の「寄國祝」と題する次の御製がのっている。大正五年の作。 日の本の 國のさかえを はかるにも まなびの業ぞ もとゐなるべき 遺書は、昭和二十年五月に、フィリピンルソン島で…

江ノ島岩屋

出張先では、食欲が出るような動き方をしなかった。新幹線に座っての移動も苦痛だけであった。それで今日は少しでも身体を動かそうと、暑い日盛りの江ノ島に出かけ、岩屋に入った。岩屋の中は秋の風が吹いていてまことに心地よかった。 岩屋に入ってすぐのと…

『楽園』(5)

二千七百円の新しい歌集が、ボールペンの書き込みで、くしゃくしゃになってしまった。これでは将来、古本屋にも売れない。まあ、消耗品と考えれば、遠慮なく気の済むまで鑑賞できるというもの。後生大事に扱っていては、深い読みはできない。 J 本歌取りあ…

『楽園』(4)

出張先のパソコンから入力しているので、詳細な解説をつける余裕がない。 それは後日にゆずる。 G 結句の特徴 詩語探る脳細胞に軋みつつ迫る両刃の振子・快楽 書物溺愛症なる性的逸脱を容さざるゆえ鬼火・漁火 熟れる桃、熟れる無花果、熟れる乳、すだれの…