天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2010-01-01から1年間の記事一覧

野茨(のいばら)の実

バラ科バラ属の落葉低木。日当たりの良い場所に生育し、2m程度だが高いものでは5-6mになる、葉は羽状複葉で、光沢がない。5月に白い花が咲き、秋には赤い実をつける。野茨の古名は「うばら」「うまら」とも。漢字で、荊とか茨を当てる。 道の辺の荊の末(う…

師走の吾妻山

二宮町の吾妻山では、はや菜の花がほころび水仙の花が匂い始めた。周知のように、この山には、弟橘媛命を祭神とする吾妻神社、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る浅間神社がある。こうした環境からか、このあたりは昔から長寿の里と呼ばれた。山頂から…

茶の花

初秋から冬にかけて白色五弁花が下向きに咲く。この白い花、飲み物の原料として利用されることがある。中国では、古くから飲まれていたという。簡単な飲み方は、菊の花と同じように、乾燥した花にそのまま熱湯を注ぐ方法で、若干の酸味がある。 茶の花の今ひ…

すすき

芒、尾花はイネ科の多年草。男花(をばな)、花薄、尾花が袖、尾花がなみ、薄の穂、穂波、遠薄(とほすすき) などと呼ばれる。秋の七草のひとつとしてよく知られる。 秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも吾は思ほゆるかも 万葉集・日置長枝娘子(へきのながえ…

鑑賞の文学 ―俳句篇(8)―

此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉「笈日記」 [山口誓子]今年の秋は何故にこのように年老いたのであろうか。空には雲がいて、そこを鳥が渡っている。その鳥の渡るのを見ると、ひとしお自分の老いがかえりみられるのである。「雲に鳥」とは煮つまった言葉である…

鑑賞の文学 ―短歌篇(8)―

先日の短歌篇(3)で、鑑賞の仕方について、斎藤茂吉と塚本邦雄の大きな違いを紹介した。 塚本の考え方につき、少し余談を付け加えておきたい。彼は、「短歌はよみ人知らずが当然である。作者を前提として作品を鑑賞するのは、ごく特殊な場合であって、むし…

皇帝ダリア

キク科ダリア属 。草丈は3mから4mにもなる。原産地は中南米で、グアテマラ、コスタリカ、コロンビアなどに見られる。樹木に劣らぬ立派な幹を伸ばし、威風堂々とした姿から命名された。木立ダリアとも。 なお、Dahlia(ダリア)は、18世紀のスウェーデンの…

電飾の島

12月に入ると、江ノ島ではクリスマスや年末年始のためのイルミネーションの準備が進められている。そしてクリスマスから正月にかけて、夜は参道と公園が電飾に輝く。江ノ島は電飾の島になる。 笹鳴に猫がとび込む藪の中 もみぢちる八臂妙音弁財天 江ノ島の…

杜鵑草

ユリ科の多年草で、本州から九州の山地にはえる。花の斑模様が、鳥のホトトギスの胸毛の斑点に似ていることろから、この名がついた。ヤマジノホトトギス、ヤマホトトギス、キバナホトトギス、チャボホトトギス、タマガワホトトギス、ジョウロウホトトギスな…

藁ぼっち

藁塚のことである。肥料や飼料にする。にお、とも。冬の田んぼには、稲の刈株から青々とひこばえが生え、そこここに藁塚が立つ。薄暗い中では、人が立っているような錯覚に落ちることがある。 おのづから藁塚の影むらさきに伊豆の涸田は冬日あまねし 吉野秀…

もみぢの天園

鎌倉湖、天園、瑞泉寺と歩いてきた。師走とはいえ、晴れた休日の鎌倉の山は、ハイカーで混雑している。 瑞泉寺のある場所は、紅葉ヶ谷という紅葉の名所である。夢窓国師作庭と伝わる石庭の崖上には、「偏界一覧亭」と呼ばれる建物があり、その昔、名僧たちが…

アカノママ

犬蓼のことでタデ科の一年草。赤い小さな果実を赤飯に見立て、赤(アカ)の飯(ママ)、アカマンマとも呼ばれる。イヌタデは北海道から琉球にまで普通に見られる一年草。千島・樺太・朝鮮・中国・ヒマラヤなどにも広く分布する。 赤飯(あかまま)の花と子等いふ犬…

鑑賞の文学 ―俳句篇(7)―

遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子『五百句』 [山本健吉]この句のよさを説き明かすことは至難である。「枯野」と「遠山」の取り合せに、かくべつおもしろみがあるはずもない。すると問題は、この二つの名詞を結ぶ「日の当りたる」という、それ自身とし…

鑑賞の文学 ―短歌篇(7)―

裏戸(うらと)いでてわれ畑中(はたなか)になげくなり人の いのちは薤(かい)のうへのつゆ 斎藤茂吉『石泉』 [塚本邦雄]久久に見る離れ業である。それも現実と観念との並列照応といふ一種の定石ではなく、上句下句の鮮やかなコントラストでありながら、その双…

師走の里山

よく晴れた十二月の初旬に、横浜舞岡公園の里山を訪ねた。くぬぎや楢などのもみじが明るく映え、芒が銀色に垂れて美しい情景に出会えた。梢には鵙が鳴き、四十雀がめまぐるしく飛び移っていた。 餅搗くや小谷戸の里の子供会 ひこばえの田を鋤き返す小谷戸か…

ユッカ

ユッカ はリュウゼツラン科ユッカ属の植物の総称。北アメリカ、中央アメリカおよび西インド諸島の暑く乾燥した地域が原産である。 いとまあれば椅子(いす)によりつつおのづからユクカの花を わがみてゐるも 前田夕暮 梅雨ぞらに高く開きしユッカ蘭ともしびの…

初冬の鎌倉長谷

鎌倉の長谷寺では、11月20日から12月5日までの期間、長谷寺ライトアップ2010年、本堀雄二「BUTSU」展が開催された。 ダンボールで作られた「BUTSU」は、現代のエコアートの 象徴であり、光を透過させて神々しいばかりに輝きを放つ。 とのキャッチフレーズ。…

マリア像

横浜の山手カトリック教会に、大理石の真っ白な全身像がある。この美しい聖母像は、明治元年(1868年)にフランスから、山手カトリック教会の前身の横浜天主堂に贈られたものであった。この天主堂は、1862年にフランスの神父さんが建てた。 とほき彼方の…

銀杏の黄葉

全国各地に、銀杏の銘木がある。鎌倉鶴ケ丘八幡宮の大銀杏が、野分の風に倒れたので、わが散策のルートは寂しくなった。東京九段の会社に通っていた頃は、靖国神社参道の銀杏並木が、この時期の楽しみであったのだが。わが家の近くでは、遊行寺境内の大銀杏…

鑑賞の文学 ―俳句篇(6)―

はいくほくはいかい鉛の蝸牛 摂津幸彦『四五一句』 [宗田安正]摂津幸彦の遺句になった。〈はいくほくはいかい〉は〈俳句発句俳諧〉もしくは〈俳句発句徘徊〉か。〈鉛の蝸牛〉は自画像。摂津俳句の特色は、茶化し、言葉遊び、イロニー、淋しさは身体化 と自…

鑑賞の文学 ―短歌篇(6)―

ホチキス針千本入りのおもたさよ未だ見ぬ時のぎうと詰まりて 川井怜子『メチレンブルーの羊』 [小池 光]ホチキス針は一連五十発くらいであろうか。千本入りといってもだからたいした大きさでない。でも、千本使い切るには千回綴じる場面に遭遇せねばならず…

大山寺の紅葉

晩秋初冬の紅葉の名所は、全国各地にあるが、神奈川県下では、大山の中腹にある大山寺をあげることができる。参道の石段両側に立つ数本の木々が、枝をひろげて深紅の葉をつけているにすぎないが、空を覆う密度が高いのである。毎年、紅葉の時期になると、い…

さくら紅葉

さくらと言えば、春爛漫の花を愛でるのが通常だが、桜並木が一斉に紅葉する景色も情緒があってよいのものである。顔や首筋に風の冷たい朝、路上を転がる紅葉のむれ。それらが集まってきてできた吹き溜まり。夕陽に輝いて舞い散る紅葉。一枚一枚を良く見れば…

菊花展

今の時期、各地の神社の境内や公園では、菊花展が開かれている。わが近場で言えば、鎌倉八幡宮や横浜三渓園など。菊には品種も色も大きさも多種多様である。中国の唐の時代には、蘭、竹、梅と並ぶ四君子のひとつであった。ただ、わが国では、万葉集にはまだ…

紅葉の公園

愛知県岡崎市の紅葉の名所のひとつに岡崎東公園がある。象、ミーアキャット、プレーリドッグなどのいる簡単な動物園もあり、池には黒鳥や鯰なども棲んでいる。この池に沿う木々の紅葉がみごとなのである。休日ともなれば、駐車場の空きを待って自動車の列が…

鑑賞の文学 ―俳句篇(5)―

ひとつづつ冷たく重く蚕(かひこ)かな 長谷川櫂『天球』 [飯田龍太]一切の粉飾を去った裸の眼でとらえた句だ。眼というより心の据えどころか。例えば「をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏」にいくぶん似た感触だが、それよりも更にひややか。特に「冷…

鑑賞の文学 ―短歌篇(5)―

雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる 澤村斉美『夏鴉』 [穂村 弘]今このとき、「友」と〈私〉の間にあるものは「自転車一台分」の距離に過ぎない。その近さが逆に、二人の存在や人生は決して交換することができない、という「生の交換不可…

サルビア

サルビアは、ラテン語のsalvare(治療)、salveo(健康)が語源という。紫蘇科の植物なので薬用になるところからきているのだろう。緋衣草という日本名がある。右の画像に示すサルビア・グアラニチカという青色の花の種類もある。 秋となりわが膝さむき夜夜…

かりん

漢字では花梨や榠櫨と書く。中国原産、バラ科の落葉高木。果実は秋に黄熟して芳香を放つ。砂糖漬けや果実酒にして食用にする。 井の端に落つれば拾ふ榠櫨の実数のたまるはうれしきものを 岡 麓 榠櫨一果のにほへる几(つくゑ)愛染に遠くゐる夜の更けゆかんと…

大友皇子の陵墓(伝)

晩秋の日向薬師を訪ねた。そこから少し奥に入って浄発願寺に寄り、日向川にかかる御所の入橋を渡って大友皇子の陵墓まで歩いた。この陵墓は、もちろん伝説のものである。それにしてもどうしてこんな関東の山奥に天智天皇の第一子の墓があるのか? 大友皇子は…