2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧
今日は午後から七月の歌会がある。いつものように午前中を 円覚寺境内ですごす。風邪をひいたらしく、関節に熱があり やたらだるい。 浴衣着の携帯電話手放さず 蝉声の風に吹かるる閻魔堂 鬼百合や女弓ひく閻魔堂 蝉声の暁天坐禅円覚寺 片陰を行く下駄履きの…
蒸しに蒸す青水無月のズーラシア 黒揚羽エミューの長き首の上 岩陰に暑さしのぐや金絲猴 文月の象発情すズーラシア 擦り交はす鼻の長さに越えられぬ溝あり象の発情期 樹を揺らしひとりあそべる手長猿仲間のなきを子はさみしがり 蠅たかる骨前にして美しきス…
「短歌人」八月号、小池光選に、5月29日に作った歌の中から次の八首が 入った。 日本海海戦百周年 見上ぐれば風のマストにひるがへるZ旗まぶし「三笠」甲板 金箔の剥げすざまじき菊花紋かつて光りし「三笠」の艦首 身をよぢるごとき墨痕「我何の顔(かん…
「籃生」八月号の黒田杏子主宰の巻頭15句の中から技巧上の工夫の見える例を挙げよう。 青梅雨のあけ方の夢あをしあをし 青梅雨に入る龍潭寺方広寺 ひきがへる余命を知らず知らされず どこまでも青田どこまでも螢川すなわち、同形の言葉の繰り返しである。…
昨日発売された角川『短歌』八月号の題詠「おぼろ月」青井史選に次の歌が入っていた。 残業の火気当番を終へて出づおぼろ月夜の工場の門 「火気当番が具体的で仕事の内容も伝える」との選評。 実は、塚本邦雄追悼号になるのでは、と期待していたのだが、それ…
今日の産経歌壇、小島ゆかり選に、六月十一日に作った次の歌が入っていた。 声若き読経聞こゆる長谷寺の山になだるるあぢさゐの花 昨日の続きで恐竜の世紀。 対なせる剣板並ぶ背の先に眼窩もたぐる太白華陽竜 (ファヤンゴサウルス) 肩に尾にスパイク状の骨あ…
恐竜の時代は一億数千万年も続いたのに、人類が恐竜の存在を知ったのは、わずか百七十年ほど前という。パシフィコ横浜で、七月十六日から八月二十八日まで、「ジュラ紀大恐竜展」が開催されている。フラッシュ撮影は禁止なので写真は撮ってこなかった。 四川…
うかつだった。塚本邦雄が去る六月九日に逝去したことを昨日届いた『短歌研究』八月号を開くまで知らなかった。その記事「追悼・塚本邦雄特集(1)を、今日伊丹出張の途次の車中でむさぼり読んだ。 彼の作品は、全部とは言わないが歌集、小説、評論など古本…
今朝、「藍生」の第十三期紅藍集作品向け俳句五句を送った。 八月十五日締切なので、急ぐことはないのだが。 紅藍集作品は、一年間、黒田主宰の選なしで、毎月五句が 結社誌「藍生」に掲載される。勤務先がある九段坂周辺を 題材に、四季折々を詠むことに決…
日常会話や散文でよく使われる語法は、短歌に入れることは禁忌と されてきた。それをこともなく破ったのが塚本邦雄であった。 意識的に多用したのが小池光である。まず、塚本の例をひとつ挙げる。 騎兵らがかつて目もくれずに過ぎた薔薇苑でその遺児ら密会 …
川崎大師の風鈴市は、二十日から二十四日までなので、今日行ったところでしかたないのだが。 皺くちゃの口すぼませてラムネかな 木の陰に老いの笑顔やかき氷 母探す風鈴市の迷子かな ふうりんの風にふかるる妊婦かな 風鈴や太鼓の音に清められ をさな児の赤…
ひぐらしの鳴きやみたれば鶯の声しきりなる宿の裏山 ペンションのベッドに聞けば鶯の恋の成就ははかりがたしも 奇妙なる叫び残して鳴きやみし鶯の恋破れたるらし うぐひすの恋のゆくへを思へりき裏山せまる宿の寝床に うぐひすの声遠ざかる裏山にまた湧き出…
七月十六日と十七日を箱根に遊ぶ。十六日の夜は芦ノ湖畔のペンションに泊まる。 山百合の今をさかりと咲くそばに色あせそめしあぢさゐの花 トンネルの壁に点れる蛍光灯登山電車の車体がきしむ 小涌谷大涌谷とのぼり来て富士にまむかふ梅雨明けの空 蛇骨川石…
今日十五日昼間の靖国神社は、炎天の下にあった。 雪洞(ぼんぼり)に書かれた俳人の句は次のようなもの。 水澄むや欅の空に月残り 廣瀬直人 五月雨隠岐の漁り火かも知れず 森田 峠短歌はほとんど無いが、京都大学の中西教授の雪洞があり、学者・中西輝政と…
靖国神社のみたままつりが十三日から始まった。十六日まで開催されるが、今年は五十九回目という。靖国神社は、わが昼休みの定番の散歩コースである。天気の良い日は、いつも大鳥居の正門をくぐり神池のベンチに座り、鳩の恋や弁当を見上げる雀の群、水面に…
島内景二さんは、とかってに一方的に親しげに呼ばせてもらうが、わが尊敬やまざる国文学者にして歌人である。きっかけは、『短歌研究』に連載されていた「楽しみながら学ぶ作歌文法」に惹かれ、本(上下)の刊行を待ちかねて購入し、丁寧に全ページを読んで…
山田みづえの第七句集『中今』(角川書店)を読了した。筆者は「木語」主宰時代のわが師である。この句集には、私が「木語」に小文を寄せた懐かしい句が入っている。小文も掲載しておく。 鮎焼くや山川のいろ顕ち来る みづえ 私が木語に入会して以来、平成五…
土鳩きてのみどうるほす梅雨溜り 樹高山・伝肇寺は、詩人北原白秋が三十四歳の大正七年から同十五年まで、「木兎(づく)の家」を建てて住んだところである。童謡「あわて床屋」「かやの木山」など多くの作品が生まれた。 水張らぬプールのそばに静まれりみ…
女(をみな)らの茶室静まる半夏生 応援の声背に受けて球児らは梅雨の晴れ間のグランドに散る 打ち上げし白球待てる左翼手の足元まぶし緑の芝生 球児らの声を背に聞く似顔絵の国木田独歩追憶の碑は 竿かまへ波打ち際にあゆみよるサザンビーチの老いたる釣り…
短歌の作り方として、最近注目しているものに知の抒情というべき方法がある。 読者の知的好奇心に訴えて情をのべる方法である。特に漢字の成り立ちへの興味がある。 現代歌人では、塚本邦雄、小池光の歌によく見られる。近代歌人では例が少ないが、 次の土屋…
ここしばらく「芭蕉全句」堀信夫監修、小学館 を読んでいるが、芭蕉の 句作りの精神の新しさを今更ながら痛感する。五七五の定型に拘らないのだ。 近代になってから、こうした自由な態度が殺されてしまったのではないか? 手にとらば消んなみだぞあつき秋の…
今日の産経新聞「俳壇」小沢實選に、次の俳句がのった。 浮かび來し河鵜を嗤ふ烏かな これは5月27日に書いたように、清洲城を訪ねた時の嘱目詠である。 投稿してから新聞にのるまでほぼ一ヶ月かかっているようである。 ふたたびの航海あらじ帆柱に帆をた…
通称田谷の洞窟という。真言宗大覚寺派・定泉寺の境内にある。受付で三百円を払うと一本の細い蝋燭と半券をくれる。半券の説明によるとここはもと鶴ヶ丘廿五坊の修善道場で、開創は鎌倉時代初期という。江戸時代にいたるまで拡張され上下三段、延長一粁の壮…