天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

老いて華やぐ

角川「短歌」三月号に、前 登志夫の「月代(さかやき)」という一連がのっており、なかなかよい。柔らかい韻律ながらしなやかで力強さを感じる。老歌人だが、作品に華やぎがある。気に入った歌をあげる。 A 咳きこめば狐鳴くかときみ言へり雪にこぼるる星座の…

現代の定家(11)

今回は塚本邦雄の犬の歌をあげる。漢字の使い方と効果に注目したい。塚本家ではノエルとか百合若とか名づけた犬を実際に飼っていたというから、全くの作り話ではない。 番犬主水(もんど)ディステンパーに身罷りて白牡丹昨日今日眞盛り 愛犬ウリセス去勢の件…

昨夜のこと

一日中雨。明日の湘南ライナーの切符を買い、有隣堂に寄って三月号の「短歌」「俳句四季」を買い、イトウヨーカドウに回って芋焼酎を買って帰った。午後二時前に風呂に入って、今焼酎を飲みながらテレビを見ながら、これを書いている。「俳句四季」の伊丹三…

湯河原梅園

今年はまだ満足のゆく梅の満開に出会えない。今日は湯河原梅園にゆく。湯河原駅の幕山公園行きバス停には探梅の客が列をなしている。 新崎川は短い川である。幕山の奥には小さいダムがあるらしい。辰沢、なばたけ沢、しとどの岩屋沢の水を集めて湯河原の町を…

雛飾り

柱あり冬日あまねき廊下あり 水仙の間と蝋梅の間とありぬ 雪の香の蝋梅の香のゆきわたり 逢ひ訣れ逢ひ訣れ雛飾りけり 雛の間に母のごとくに手を合はすこれらの句は「藍生」三月号・黒田主宰の「雛飾りけり」十五句から抜いたもの。言葉のリフレーンが頻出す…

「キシガミ」

「短歌研究」三月号に、「キシガミ」という藤原龍一郎(短歌人所属)の主題制作が掲載されている。キシガミと片仮名で表記してある主人公は、六十年安保闘争に参加するが、恋と革命に敗れたとして服毒縊死した歌人の岸上大作である。藤原は、岸上の「ぼくの…

幻視の女王

「もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう」というマニフェストを掲げて現代短歌に革命をもたらした歌人が塚本邦雄であったが、葛原妙子の歌を鑑賞して秀歌を見出し、「幻視の女王」と賞賛したのも彼であった。両者とも短歌で幻を見…

固有名詞の効果

和歌、連歌、短歌、俳句といった短詩形に固有名詞を詠み込むと思わぬ迫力、リアリティが生まれることがある。人名の場合、釈迦とか高名な僧侶などではダメで、全くローカルな人や現代からすれば知りようのない昔の普通人がよいのだ。和歌、連歌では例がない…

現代の定家(10)

塚本邦雄のアプローチは、まさに温故知新。古典の言葉を取り入れると共に、造語までに発展させる。例えば、塚本の歌に 雲の上來(うへこ)しあたら長脛(ながすね)さやさやに杉の香(か) 放(はな)つなれ好色男(すきをとこ) があるが、「好色男(すきをとこ)」とい…

舞岡八幡宮

戸塚駅から地下鉄で一駅のところに舞岡駅がある。三十五年前のこのあたりは水田と森林が広がっていた。その頃、農家の庭に建ったアパートに四年ほど住んでいた。ここで長男が生まれたので、春はレンゲ田で遊ばせていた。かつてのレンゲ田にはふるさと村・虹…

熱海梅園

鎌倉の梅も小田原の梅もなかなか咲かないので、今日は熱海梅園の様子を見に出かけた。 二月はじめから梅まつりが開催されているが、早咲きの梅や蝋梅のみが寂しく咲いていて、他の梅はまだまだである。バスで到着したら「高瀬一郎歌謡ショウ」の最中であった…

超ベテランと俊英

今日は「俳句研究」三月号の俳句から気になった作品を取り上げる。 まずは「濱」所属の超ベテラン・村越化石「大年」から。 未来持つ子に拾はれてゆく木の実 冬ごもり見えざるものを見て暮らす 二日はや夢のなか行く一人旅 氷柱には一顧もくれず日を暮らす大…

長老と若手

「歌壇」三月号に掲載されている歌から気になったものをあげる。 まずは長老・岡野弘彦の「惚け忍法帖」から。 人を殺し 人に殺されし魂の 鎮まりがたく 夜半にきて哭く きさらぎの荒野の闇に 一つ眼の大太良法師 吾を 背負ひゆく 友らみな 万朶の花とちりゆ…

弥生廟

昨日に続いて今日も馬鹿陽気。昼休みに武道館周辺を歩いてみた。臘梅が数株満開のほかは花らしい花を全く見かけない。臘梅は江戸時代はじめに中国から渡来したので、俳句の素材には十分なりえたはずだが、臘梅を詠んだ名句を知らない。角川の『俳句歳時記』…

狂った気温

今日は、天気予報の気温が大幅に狂って暑かった。電車の中では、ゆまに書房刊の『塚本邦雄全集』第一巻(短歌)を読んでいる。第二巻(短歌)、第三巻(短歌)もインターネットで購入してある。分厚いので持ち歩くのが大変。これらについて考えたことは、後…

明治日本の教育

小泉八雲『明治日本の面影』(講談社学術文庫)を読み始めたが、実に驚いた。明治二十三年九月に出雲松江の尋常中学校と師範学校の英語の教師になったが、当時の日本の生徒や教師の礼儀正しさ、学問に向かう姿勢を八雲が絶賛しているのである。明治日本のす…

三寒四温

今日は打って変わって寒い。三寒四温とはよくぞ言ったものだ。昼前の円覚寺境内では、空は晴れているのに、小雪がちらついた。北鎌倉の梅もまだ咲いていない。今年は天候が異常なのだろうか。北鎌倉といえば、昨日下曽我で流鏑馬を披露した武田流馬術の宗家…

梅と流鏑馬

二月一日から月末まで第三十六回小田原梅まつりが開催されている。曾我梅林には毎年出かけているが、原梅林における例年の流鏑馬は一度も見たことがなかった。たまたま今回、今日、それを見る機会を得た。ところが梅の花がほとんど咲いていない。畑のそばの…

現代の定家(9)

弱った! 理解の手がかりが得られない。『青き菊の主題』のことである。各章のはじめに瞬篇小説があり、その後に短歌一連が載っている構成で、七章からなる。平安の昔から『伊勢物語』のような歌物語はあるが、それとは全く趣が違う。 瞬篇小説の内容と歌の…

現代の定家(8)

塚本邦雄には馬の歌も大変多い。「馬を洗はば」の名歌を含む次のような例をあげることができる。 騎兵らがかつて目もくれずに過ぎた薔薇苑でその遺児ら密会 わが過去にすさまじきものはこびきて豪雨の中にうなだるる馬 乳房その他に溺れてわれら在る夜をすな…

雀と柳

パン屑に雀あつめる春うらら 芽をふくや柳の枝のみどり髪 うすあかく春はきざせり嫋嫋と髪をたれたる柳の梢

北方領土の日

朝十時頃から右翼の街宣車がやけにがなりたてる。今日二月七日は「北方領土の日」なのだ。昭和五十六年一月に、閣議で決定されたもの。右翼の街宣車は、やがて公安当局が誘導して静かにさせた。昼休みに寒い中靖国神社に行って見たら、多数の街宣車が収まっ…

夢の浮橋

塚本邦雄『源氏五十四帖題詠』最後の「夢浮橋」の巻に対する歌は、 夢よ夢ゆめのまたゆめなかぞらに絶えたる橋も虹のかけはし である。読者は当然のことながら定家の次の名歌と比較したくなる。 春の夜の夢のうきはしとだえして嶺に別るるよこぐものそら こ…

早春の三渓園

横浜本牧の三渓園にいった。えらく寒い。今日から観梅会が始まり一ヶ月間続く。園内では餅つきをやり、踊りを披露していた。またいくつかの茶室では茶会が開催されて、和服姿の女性たちが行き交っていた。さらに三渓記念館では、ゆかりの雛人形が展示されて…

立春

立春らしい気分を味わいたくて、二度と登ることはあるまいと眺めていた大山に行ってみることにした。海抜一二五二メートル。五、六年前までは、春と晩秋の年二回は登っていたのだが。ただ、この時期に頂上まで行ったことはない。朝は快晴であったが、登り始…

明石

平安朝後期の歌人にとって源氏物語は必須の教養であった。例えばあまりにも有名な次の歌は明石の巻を面影にしている。 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家 塚本は、『源氏五十四帖題詠』の「明石」については次の歌を詠んだ。当然定家…

花宴

一一九三年の「六百番歌合」で、藤原良経の左方の歌に右方人の六条家がいちゃもんをつけたのに対して判者の藤原俊成が「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」と切り捨てたのは有名だが、この時の源氏とは、詳しくは「花宴」の巻を指す。塚本は、『源氏五十四帖…

二月号から

今日も雨。インターネットで注文していた本が三冊届いたので気ままに読み始めた。 小泉八雲『明治日本の面影』、塚本邦雄『君が愛せし』、塚本邦雄『源氏五十四帖題詠』。 何故こうも塚本に拘っているのか、って? この際、トータルに塚本の作歌歴・信条をた…