天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

川のうた(7)

夜の川の情景の歌には、独特な懐かしさ、哀しさを感じる人が多いのではないか。特に青少年期に慣れ親しんだ川の夜景には忘れがたいものがある。一首目の下町とは、都市の商工業地域のうち,おもに低地に発達した地域を指す。独特の生活情緒をもつ。 下町の密…

川のうた(6)

二首目のカロッサは、ドイツの開業医にして小説家であり詩人でもあったハンス・カロッサのこと。 竹山 広の歌は、長崎原爆のかの日の思い出である。岩田 正の歌に詠まれている川は、住まいの近くの麻生川であろう。 河のむかうの木群にひとりゐる人の眼鏡光…

川のうた(5)

川に作者の感情・思いを反映させた歌の例を以下にあげる。自然と共に擬人化されている。 石川一成は、東京文理科大学在学当時から歌人佐佐木信綱に師事。昭和25年竹柏会「心の花」に入会、のち編集委員。高校教師 神奈川県立厚木高校教頭。 剛直におのれを変…

川のうた(4)

前川佐美雄の歌で、「埴(はに)のにこつち」に注釈すると、埴とは、きめの細かい黄赤色の粘土のことで「はにつち」の略。「にこ」は語素で、やわらかい、こまかいの意を表す。つまり「埴(はに)のにこつち」は、「埴」を二重に形容した言葉である。 宮 柊二は…

川のうた(3)

以下の一連は、作者の立ち位置がよくわかる自然詠である。 若山牧水は大正15年に北海道から東北地方に旅をした。その折に「幾山川 こえさり行かば 寂しさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく」という後に有名になる歌を詠んでいる。 中高にうねり流るる出水河(でみ…

川のうた(2)

飛鳥川(明日香川)は奈良県中西部を流れる大和川水系の一級河川。流域は古代より開けた地で、古歌にもしばしば詠まれた。ただ奈良を訪れて初めて見た飛鳥川は、川幅が狭く小川のようで拍子抜けするほどであった。二首目の涙川とは涙の川で、物思いするとき…

川のうた(1)

川の語源は、「がはがは」という水の流れる音にあるという。 一首目の筑摩川(千曲川)は信濃川の上流で長野県を流れる部分の名称。全長 214km。 二首目の象(きさ)の小川は、吉野山の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもつ川でやがて吉野川に注ぐ。三首目…

河童と我鬼(10/10)

おわりに 名句とされている俳句を制作年と共に次にあげよう。江戸俳諧に学び独自の境地に達したことが垣間見える。 木がらしや目刺(めざし)にのこる海のいろ 大正六年 元日や手を洗ひをる夕ごころ 大正十年 蝶(てふ)の舌ゼンマイに似る暑さかな 昭和元年 水…

河童と我鬼 (9/10)

□補足 龍之介の妻・文のことは、エッセイや小説には出て来るが、俳句にはほとんど登場しない。また現今にいう社会詠はほとんど無い。投句していた「ホトトギス」主宰の高浜虚子が、花鳥諷詠を標榜し震災や戦争は短詩型の俳句に馴染まない、という考えであっ…

河童と我鬼 (8/10)

□子供を詠んだ俳句 芥川龍之介は、三人の子供を可愛がっていたことがよくわかる。 負うた子のあたま日永に垂れにけり 大正六年 大正六年は結婚前なので、よその子の嘱目詠だろう。 麦ほこりかかる童子の眠りかな 大正十一年 長男比呂志のことであろう。後に…

河童と我鬼 (7/10)

俳句に表現したこと自分の精神的悩みや社会に対する怒りを俳句には投影しなかった。また身内の不幸は隠そうとし、俳句には表現しなかった。本職の小説にしても、島崎藤村や田山花袋が私小説の先駆けのリアルな境涯小説を明治末に書いていたが、そうした風潮…

河童と我鬼 (6/10)

漱石との類似点と相違点 夏目漱石と芥川龍之介は共に俳句を好んで作った。そこで両者の類似点と相違点を見てみたい。漱石は龍之介より二十五歳年長だが、二人とも江戸/東京の出身で、東京帝国大学文科大学英文学科を卒業。小説家になった。途中で学校の教師…

河童と我鬼 (5/10)

蕪村句との関係は後に述べることにして、芥川と同時代の俳人や俳句仲間との交流が句作の刺激になった。飯田蛇笏との関係は、「はじめに」で述べたように「鉄条(ぜんまい)」の句を称賛されてから始まった。蛇笏は龍之介より七歳年長。直接対面の交流はなかっ…

河童と我鬼 (4/10)

芥川の「澄江堂雑記」(二十八 丈艸の事)に、次の文章がある。 「蕉門に龍象の多いことは言ふを待たない。しかし誰が最も的的と芭蕉の衣鉢を伝へたかと言へば恐らくは内藤丈艸であらう。少くとも発句は蕉門中、誰もこの俳諧の新発知ほど芭蕉の寂びを捉へた…

河童と我鬼 (3/10)

俳句革新を先導した正岡子規や子規と親しかった夏目漱石は、芭蕉よりも蕪村を称揚した。彼等と違って、芥川龍之介は『芭蕉雑記』で次のように書いている。 「芭蕉の俳諧の特色の一つは目に訴える美しさと耳に訴える美しさとの 微妙に融け合った美しさである…

河童と我鬼 (2/10)

余技は発句 芥川龍之介は、生涯におよそ千二百句を詠んでいる。唯一の句集は自死後に香典返しとして刊行された『澄江堂句集』であり、大方自選の七十七句がおさめられている。 彼の「余技は発句の外に何もない」という言葉において、「外に何もない」という…

河童と我鬼 (1/10)

はじめに 俳句歳時記・夏の行事の項に、人の忌日が多く並んでいる中に、河童忌がある。芥川龍之介の忌日(七月二四日)の名前である。「河童」は自殺した年に書いた短編小説の名前であり、時々描いた得意の河童の絵に由来している。 芥川龍之介の本業は、周…

機会詩〈短歌〉ノート (6/6)

時事に関する直截な表現を嫌う場合、喩法がよく用いられる。岡井隆は、安保詠を機に、暗喩やアレゴリーなど高度な喩法を駆使して前衛短歌の新たな表現の地平を切り開いた、と大辻隆弘が評価している。さらに岡井隆には、9・11テロの首謀者ウサマ・ビン・…

機会詩〈短歌〉ノート (5/6)

歌を作った時点では時事詠だったものが、歌集に編集してまとめる際に題をつけることによって題詠のように見えてしまう、あるいは積極的にテーマ詠にしてしまうということも起こりうる。 時事詠の場合、対象となる事件の当事者となって歌を詠むケースと傍観者…

機会詩〈短歌〉ノート (4/6)

次は、平成の大規模テロとして、オーム真理教事件。加藤治郎の歌から。 ああ朝のひかりのなかにひらかれたバイブルは翼 あそべぽあぽあ 加藤治郎 バイブル、ぽあぽあというわずかな手掛りしかないので、時間と共に何を詠んだのか判らなくなる。何かを茶化し…

機会詩〈短歌〉ノート (3/6)

次は、自然災害として大震災に遭った場合。窪田空穂『鏡葉』に関東大震災を詠んだ一連五十余首がある。 燃え残るほのほの原を行きもどり見れども分かず甥が家あたり 窪田空穂 新聞紙腰にまとへるまはだかの女あゆめり眼に人を見ぬ 空穂は震災直後の神田猿楽…

機会詩〈短歌〉ノート (2/6)

明治の短歌革新運動に至るまでの和歌の時代は、長く題詠主体であった。時局を和歌に読み込むなど危険を伴いタブーに属した。また優美な感覚にも反した。では、全く時局は歌に詠まれなかったかというと、そうではない。政治に対する批判は、狂歌に詠まれた。…

機会詩〈短歌〉ノート (1/6)

ドイツの大詩人ゲーテは、「全ての詩は機会詩である」と言った。この世の一瞬間は、あまりに美しく個人にとって生涯にただ一度しかない機会なのだから、そこから生まれる詩はすべて機会詩ということになる。これでは、分類に使えなくなってしまう。ただ、詩…

深海魚

大陸棚より沖合の水深二百メートル以上の深海に棲む魚。高水圧・暗黒の環境に適応する。 恐竜の時代以降に起こった隕石落下による地表面の影響を受けにくいこともあって、古代の形態を残した魚もいる。シーラカンスが典型。 客乏しき地下レストラン気泡立つ…

地震を詠む(続)

昨夜零時前に、福島沖で地震が発生した。テレビ画面に緊急地震通報が音声と共に表れてびっくり! 幸い津波は起きなかった。 地震については、2013年8月4日「地震を詠む」において、歴史的な経緯について触れたが、例歌は北原白秋の三首をあげたに止まった。…

観音ミュージアム

関東地方に豪雨注意報が出ている日、横浜や鎌倉では午前中に雨が止んで明るくなったので、極楽寺、成就院、権五郎神社、長谷寺 と歩いてきた。秋の彼岸を過ぎた頃に見馴れた花と言えば、彼岸花や萩の花くらいだが、極楽寺の江ノ電トンネル口の崖に群がって咲…

鳰と狼(11/11)

おわりに 森澄雄の評価については、山本健吉から俳句の本質的なものを習ったと言い、芭蕉の伝統を継承したので、さしたる波乱はなかった。しかし前衛を進んだ金子兜太には批判が相次いだ。中でも社会性俳句に対する山本健吉の意見は厳しかった。曰く「イデオ…

鳰と狼(10/11)

漂泊の魂 一般に詩人は漂泊の境涯にあこがれるものだが、現代社会においては、実生活を漂泊に過ごす俳人は稀である。澄雄は教師として、兜太は日銀の社員として、それぞれ勤め人を全うした。ふたりの漂泊の魂は、先人たちへの関心として現れた。澄雄の場合は…

鳰と狼(9/11)

詩としての真実 敗戦後の加藤楸邨の考え方から出発した森澄雄も金子兜太も「客観写生」の俳句に批判的であった。澄雄は、正岡子規の「写生論」により俳諧の良さであるユーモアが消えたことを指摘し、兜太は造型論を提唱して、虚子の「ほととぎす」派に対抗し…

鳰と狼(8/11)

(3)エロスの句性は生物の命の根底にあるもので、どの分野においても避けて通れないテーマである。ただ、宗教、法律あるいは生物学上の禁忌から、あからさまな表現は慎むのが良識とされる。そうした性愛感情の作品をとりあげる。 [澄雄]間接的で優雅な表…