天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌に詠む人名(1/7)

講談社学術文庫

短歌に個人名を詠む意図や効果について考えてみたい。伝説上の人物や有名人の場合は個性・物語性を、無名人の場合は、作者との関わり、名前の珍しさあるいは音韻の効果などを詩に生かしたい、ということがあろう。
ところでわが国における個人の姓名は、どのように決まったか。
大化改新ののち、律令国家が形成される過程で、戸籍制によって氏姓はかつてのべみん部民つまり一般民衆にまで拡大され、すべての階層の国家身分を表示するものとなった。氏姓を有しない者は、天皇及び皇族と奴婢のみになった。納税などの荷札・付札にした木簡には、山梨連大足、水取色夫智 といった人名が書かれていたことでも実証される。
江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許されたとされるが、庶民には血縁共同体としての家があり、それを表す私称の名字があって、寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができた。
国の法律として確立したのは、明治になってからである。明治維新の後、明治三年九月十九日の平民苗字許可令、明治八年二月十三日の平民苗字必称義務令により、国民はみな公に名字を持つことになった。