天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代の定家(5)

 塚本の短歌には、有名人の忌日を読み込んだ作品が実に多い。有名人の忌日が題詠の素材になったがごとくである。カレンダーにしてその日の事象、感想と組み合わせて詠んだと思われる。


  伐つた櫻の腕ほどの幹花交(まじ)へはこびこまれつ
  沖田総司
  *新撰組随一とも言われた華やかな剣客のイメージが
   「伐つた櫻の腕ほどの幹」という措辞から匂い立つ。


  群青の沖へたましひ奔りをりさすが淡雪ふる実朝忌
  *陰暦一月二十七日。現在は二月二十七日に修される。
   「群青の沖へたましひ奔りをり」という言い方から、
   ついに和賀江島の港に浮かぶことのできなかった夢の
   唐船が出るはずの沖へ実朝の霊が走り出ている、と詠う。


  侘助椿(わびすけ)のくれなゐ浅しわが詩魂鬱勃として
  きのふリルケ忌 
  *リルケ侘助椿(わびすけ)とは直接には何の関係もない
   はずだが、きのふのリルケ忌に塚本の目に映ったのであり、
   詩人リルケを思って短歌に賭ける塚本の詩魂がふつふつと
   胸に湧き上がってきたという。