天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

昨夜のこと

 一日中雨。明日の湘南ライナーの切符を買い、有隣堂に寄って三月号の「短歌」「俳句四季」を買い、イトウヨーカドウに回って芋焼酎を買って帰った。午後二時前に風呂に入って、今焼酎を飲みながらテレビを見ながら、これを書いている。「俳句四季」の伊丹三樹彦選には次の二句が載っていた。
     すれちがふ電車無人の秋灯
     そこここに落葉が動く群雀


 今日の出来事はこれだけなので、昨夜のことを書いておく。「短歌人」の横浜歌会があった。出席者は七人。惹かれるだけに一言言いたく詠草を取り上げる。

題詠「雛」の部から、
  A おとうとがのぼりしあかき雛壇の右往左往にあねは泣きゐる
  B この春で閉園となる幼稚園もも組にこもごも並ぶ紙雛
        

A: 右往左往するのは誰かがあいまい。おうとうとが主人公のように読める。よほど大きな雛壇なのか?雛壇が右往左往するというのは無理がある。雛壇は右往左往する場所としてある。作者の意図は、雛壇に座っている人形たちが、おとうとの侵入に驚いて右往左往し、それを見てあねが泣いている、という情景らしい。「おとうとがのぼりし壇の雛たちの・・」とすれば判りやすくなる。でも「雛壇の右往左往」が喩として棄てがたい。
B: 下句に「も」がいくつもあり、遊んでいる感じがして、主調となるべきものがなしさを弱めている点が気になる。

自由詠の部から。
  C 園児らの笑ひしこゑに目ざめたり萬歳の枝(え)に
    みつまたの咲く
  D コバルトブルーの毛糸を混ぜて編みなおす帽子
    ようやく立体となる          
        

C: みんなが下句の意味を理解できない、という意見。作者の意図では、みつまたの枝の形状を万歳の形と言いたかった、とのこと。さらに、目ざめたのは、みつまたであると聞かされては、ますます読者は混乱する。歌の語順・作りを工夫してもっと判りやすくすべき、となった。しかし、着眼点がなんとも面白い。
D: 特にコバルトブルーが効いている、ということで好評。ただ、上句四句五句が「ウ」音で終わっているのが、暗い感じを与える。