徳川家康は三十一歳の元亀三年(一五七二)十二月、三方ヶ原で戦った武田信玄との合戦で負けを経験した。後に、この敗戦を肝に銘じるために自分の姿を一幅の絵に描かせ、慢心の自戒として生涯座右に置いたと伝えられる。通称「しかみ像」という。この姿の石…
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