40歳の時、定家は22歳の後鳥羽院に付き従って、初めて熊野詣をした。下級公家の定家の役割は、一行に先駆けて船や昼食、宿所を設営したり、歌会の講師を務めたりで忙しく、さんざんな目に遭ったようである。出世のためには、後鳥羽院の気ままな行動に勤勉に…
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