天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

定家卿を訪ふ(2/7)

京都御所の外壁

 40歳の時、定家は22歳の後鳥羽院に付き従って、初めて熊野詣をした。下級公家の定家の役割は、一行に先駆けて船や昼食、宿所を設営したり、歌会の講師を務めたりで忙しく、さんざんな目に遭ったようである。出世のためには、後鳥羽院の気ままな行動に勤勉に付き合わなければならなかった。


  天皇は子づくりのみにはげみたり平安末期の院政なれば
  競馬にも和歌にも定家をひきまはすホモ・ルーデンス
  後鳥羽上皇


  頻繁に呼び出ださるる歌会に「興無シ。早ク出デテ逐電」
  さまざまの王子参りに疲弊せる熊野詣に二度とは行かず
  歌詠むも遊行のひとつさりながら除目待たるる歌道の家は
  夜前より蝦蟇の如くに右目腫る新古今集の選歌に耽り
  白拍子、遊女かまはず引き入れて後鳥羽がなせる乱交の沙汰
  切り継ぎにまる十五年その途中実朝に贈る新古今集