短歌朗読(1)
短歌に興味を持ち始めたときから、疑問に思っていたことがある。未だに納得できていないこと。それは、短歌という言葉に歌が含まれているのだが、歌として読まれる場面が少ないこと、歌会始での読み方が現代人が思っている歌とは感じられないこと、朗詠とは違うらしいこと 等々。
というわけでいにしえの和歌の読まれ方から調べてみる必要を感じて、日本文化財団編『和歌を歌うー歌会始と和歌披講』笠間書院を購入して読みはじめた。古今集、新古今集 ほかの和歌の読み方がCDとして付いている。楽しみだ。
目を通した範囲の内容を整理すると、次のようになる。
★和歌は、本来、漢詩(からうた)に対する「やまとうた」の意味
であり、長歌、短歌、旋頭歌、片歌、仏足石歌体などの形式の歌
を含む。
★「朗詠」とは、平安中期に成立した歌謡の一種で、もっぱら
「漢詩文」に節をつけて吟誦するものであった。和歌については、
朗詠とは言わなかった。
★和歌の披講は、朗詠のような劇的な発展を見せることなく、三種
(甲調、乙調、上甲調)の限られたパターンの曲調を基本とした。
なお、歌会始の放映でよく耳にするのは、講師による「読上」
である。標準音は黄鐘(洋楽のA)とされ、一定の高さを保つこと
が要求される。各句を区切って読み、母音を長く延ばした末を言い
切ってややはねる。
句の間は三息または四息で、第四・五句は間をおかずに読む。
★披講の形式には次の二つの組み合わせがある。
一.講師が歌を講じ、読み上げる形式
一.発声・講頌が、曲節をつけて鑑賞を目的とする披講の形式
★朗詠は、平安末期以降、基本的には三管(笙・竜笛・篳篥)の
伴奏をともなって、「雅楽」のひとつとして音楽的に演奏される
ことが多い。和歌の披講には、伴奏を伴わない。和歌の披講の
ふしは、純粋な楽曲として歌われるというよりは、あくまで、
歌詞の内容を伝えることを念頭に置いた素朴古雅な節回しの
ものである。披講はあくまで歌の内容を良く聞き味わうことを
本義とし、音楽性は二義的なものである。