天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌と句読点(2)

 そこで句読点の歴史が気になってきたので、ちょっと調べてみた。大変奥が深い。なにせ、句読点研究会というものがある。
 日本語において句読点が使われ始めたのは、明治20〜30年代であるらしい。それ以前、例えば、明治18年刊行の坪内逍遥小説神髄』には、句読点が使われていないという。
 句読点は、日本においては平安初期の漢文の訓点から派生したとか、江戸時代に西欧から渡来したピリオド、コンマの影響を受けて普及したとか言われている。
 藤原定家(鎌倉前期)の文書にも句読点は現れない。当時は、文字の濁点にせよ美しい文面には、美観を損ねると考えられたようだ。それはそうだろう。現在でも筆で句読点を書くなどぞっとする。
 わが国の句読点の標準化は、明治39年に、文部大臣官房が『句読法案』を策定したのが最初とのこと。句読点の定義は、文の論理的関係を明確にし、読みやすくかつ理解しやすくするために切れ目や終止を示す表記上の符号の呼称である。よって、釈迢空の短歌においても、先ずは論理的関係を分かり易くするために使用されたのであり、次に読み方(間の取り方・息継ぎの場所)を指定したといえる。ただ、先にも書いたように、彼自身の朗読では、句読点と唄い方の関係は不明のままである。