天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌と句読点(1)

 短歌の表記に句読点を入れた釈迢空折口信夫)の意図がわからない、と先日の「短歌朗読(5)」に書いたが、それなら彼自身がどこかに書いているはずと思い、『釋迢空短歌綜集』を調べてみた。すると、あった! 歌集『海山のあひだ』の「この集のすゑに」というあとがきの部分に、書いていた。全部を引用すると長くなるので、要所を抜書きしておく。


   短冊・色紙にはしり書きするのと、活字にするのとは別である。
  だらしない昔の優美をそのままついで、自身の呼吸や、思想の
  休止點を示す必要を感じない、のんきな心を持つて居て貰うては
  困る。・・・・しかも其よりも、一層内在して居る拍子を示す
  のに、出来るだけ骨を折る事が、なぜ問題にならないのであらう。
  ・・・・「わかれば、句讀はいらない」などと考へてゐるのは、
  國語表示法は素より、自己表現の為に悲しまねばならぬ。