天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

三月三連休

大樹寺多宝塔

 この連休に、また岡崎市を訪ねた。徳川氏発祥の地なのでいくつか歴史的に興味ある史跡がある。今回は、徳川氏の菩提寺である大樹寺を見学した。成道山松安院と号し、文明七年(1475)松平四代親忠(家康より六世の祖)の創建になる。見学は先ず本堂に坐ってテープの説明を聞くところからはじまる。
 家康十九歳の時、桶狭間の戦により今川義元が打たれたので身の危険を感じ、大高城から大樹寺に逃れ、当時の住職に先祖の墓前で自害する覚悟を話すと、上人は「厭離穢土、欣求浄土」の経文をもって諭し、家康を翻意させた。家康は終生この八文字を座右の銘とした。
といった話がなされる。見学で壮観なのは、松平八代と徳川歴代将軍の位牌堂である。等身大の位牌が柩に納まってずらりと立ててあり、不気味である。足利末期にできた多宝塔や廟所を見て回った。庭隅に松本たかしの句碑を見つけた。

     松蝉の松の下草深き寺      たかし


 なお右上の写真の多宝塔は室町時代のもので、松平七代清康により天文四年(1535)に建立された。国指定の重要文化財


      黒鳥の上に枝垂るるさくらかな


  ひとしきり草叢の匂ひ嗅ぎし後ちよこんと坐り主見上ぐる
  バスくれば主人見送る雌犬の房毛は顔の前に垂れたり
  もののふが鳥におどろき逃げまどふいにしへ思ひ富士川わたる
  白々と小石の原のひろごりて水少なきは大井川なり
  年老いて皮膚しらめども青竹を踏み割りて食ぶ象の富士子は
  柵際にねむる黒豚青草をちぎりて撒けば立ち上がりたり
  身の丈の位牌納むる柩立ち徳川累代部屋を満たせり