天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

棟方板画美術館

入館券

 鎌倉市鎌倉山二丁目19―17。以前にも訪れたのだが、NHKハイビジョン「巨人たちの肖像」を見て刺激され、あらためて行ってきた。華厳譜、釈迦十大弟子、大世界の柵、涌然する女者達々、龍原頌、砂山の柵、厖濃の柵、迫開心経頌 などが展示されていた。仏教曼荼羅の世界がテーマなのだが、女体のエロスへの限りなき憧れが底流にあることを強く感じさせる。これは、池田満寿夫についても感じることである。


  近眼の顔近づけてま裸の女を匂ひ嗅ぐごとく見き
  近眼の顔の迫れる下半身 ヌードモデルは志功を厭ふ
  妻なればモデル厭はず灯の下に裸体さらしてポーズとりけむ
  ゆたかなる顔も肢体も妻に似る志功の描きしはだかの女性
  くきやかに臍彫りたれどその下の陰の在り処ぞほのかなりける
  さまざまの女の裸体横たへて板画に彫りし般若心経


  ベートーベン交響曲五番を聞きて彫る
  「美尼羅牟頌(びにろんしょう)」は丸刀(がんとう)一本


  春はさくら冬はつばきに彩られ鎌倉山のアトリエありき


 棟方志功は、昭和42 〜49年まで鎌倉山のアトリエで創作活動を続けた。全作品を保存する記念館を作るため、昭和48年(1973)に財団が設立された。設立にあたり、棟方志功は手元にある作品、版木、主な蒐集品を寄贈した。とりあえずアトリエが、昭和49年(1974)に公開されたが、本格的には、昭和57年(1982)に美術館として開館した。
棟方志功は、昭和50年(1975)に亡くなった。その墓は、遺言によりゴッホの墓を真似た形で、青森市を見渡す丘の上に建てられた。このことは、桜前線を追いかけて青森に行った今年の春に、すでにブログで紹介した。