鑑賞の文学 ―短歌篇(13)―
村田耕司さんの歌集『十年贈歌』を読み終えた。前半部と同様、後半部にも分らない歌がいくつもある。その中から例を二首あげて、ともかく解釈してみる。
「大岡の月」観にゆけり三鷹まで中央線に小舟をのせて
けふ一日もさびしいですね 油屋の酒蔵角を折れる白秋
一首目。詩人の大岡信が集めた絵画のコレクション展が、彼の住んでいた三鷹市で開催された。その中には、アメリカの画家サム・フランシスサムから贈られた《大岡の月》という絵がある。絵の具をたらしたり叩きつけたりして描くドリッピングという技法が使われている抽象的な作品である。子供たちが見ても喜びそうな絵。「小舟をのせて」とは、子供たちを連れてということの比喩であろう。
二首目。作者(村田さん)は、薩摩街道を訪れたのであろう。この街道は、江戸時代、薩摩藩、八代藩、人吉藩、肥後藩、柳川藩、久留米藩の諸公が参勤交代の道として利用した。そして明治20年代頃には、幼少の北原白秋が、柳川から母の実家の南関へと通った道でもあった。「けふ一日もさびしいですね」という言葉は、幼い白秋のつぶやきであろう。
以下に、工夫された個性的な歌をあげておく。
それほどの元気はないが夕やけ色の甘納豆に明るくなりぬ
食卓にごきぶりよろよろのぼりきてわれはすぐさま母の名叫ぶ
ごきぶりのわれら同士がじやんけんし勝ちたる者が兎になりぬ
なやましくピカソ展観に誘はれてちから弱まりをると断りにけり
ヴィド・フランスに珈琲飲みに否やいなスプーン凹面にかんばせ
を見に
水大福ふたつ買ひきておのづから公園ベンチにひとつ消えなむ
迷ひなく後者を選ぶ五日午後花見にゆくか洗濯をするか