短歌甲子園・随想
「甲子園」の名のつくイベントは、高校野球をはじめとして数多い。短歌甲子園の正式名称は「全国高校生短歌大会」で、平成十八年に啄木生誕一二0周年を記念して始められた。毎年盛岡市で開催されている。2011年は、東日本大震災が起きた後だけに開催が危ぶまれたが、盛岡市ブランド推進課や関係者の尽力により8月19日〜21日の3日間実施された。選抜で勝ち抜いた高校の生徒たちの作品には、東日本大震災に関連した短歌が多かった。その歌集は非売品だが、「復興応援短歌集」と銘打ってある。短歌をみな三行詩の形に表記したのは、石川啄木に倣ったものであろう。受賞作の二例をあげよう。口語なので現代詩の風味が濃く出る。
東北の空に
天使はうずくまる
「翼があっても奇跡は起きない」
気仙沼高校・山内夏帆
手のひらに刺さった
トゲを抜くように
受信ボックス全削除して
気仙沼高校・今野莉奈
実は細かく見ると啄木の三行書きには、以下の二種類がある。
『一握の砂』の場合
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
『悲しき玩具』の場合(句読点、空白、記号などを使用)
呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!
短歌甲子園の作品は、『一握の砂』の表記に倣っているようだ。
短歌の表記については、啄木以後現代前衛短歌に至るまで、いくつもの試みがなされた。詳細は省くが、その動機は、次の釈迢空の場合が代表的であろう。釈迢空は、関東大震災に遭遇した折、
「私は、地震直後のすさみきつた心で、町々を歩きながら、滑らかな拍子に寄せられな
い感動を表すものとしてのー出来るだけ、歌に近い形を持ちながら、―歌の行きつく
べきものを考へた。さうして、四句詩形を以てする発想に考へついた。」
と書いている(『海やまのあひだ』のあとがき)。しかし、それは歌集『春のことぶれ』に採用されただけで終わった。結局、迢空の短歌表記法は、句読点、一字空けを用いた一行書きが基本になった。多行書きは、視覚的な効果があるが、朗読する場合には、句読点、一字空けを用いた一行書きと区別がつかない。迢空は、短歌は耳で聞くものとの認識に戻ったのであろう。
現代はネットでツイッターやフェイスブックが全盛期である。そこではITならではの視覚効果が発揮できる。短歌表記について再考・試行してみる価値はありそうだ。このあたりを短歌甲子園に参加する高校生諸君に期待したい。