報徳の思想
二宮尊徳は、10年に及んだ桜町復興の成果報告をした際に、小田原藩主大久保忠真から、「徳を以って徳に報いる(以徳報徳)やり方」だと言って褒められた。わが意を得た尊徳は、以後自分の方法論・生き方を「報徳」と呼ぶことに決めた。具体的には、次のような考え方である。
至誠: うそいつわりのない真心。
勤労: 自分及び地域のために自分にできる仕事にはげむ。
分度: 自分の情況・立場にふさわしい生活をおくる。
推譲: 分度によって得られた力・金を将来や社会に譲る。
この報徳の四カ条は、生誕の家の庭に接して看板にして掲げられている。庭や家の土間に近所の園児らが走りまわって遊んでいた。
尊徳の生家小暗き秋灯
回村の銅像立ちて園児らが庭駆けまはる金次郎の家
尊徳の顔のスケッチあまたあれば彼の肖像画信づるに足る
勤勉が羽織着て立つ譬へなり二宮尊徳翁の肖像
今の世に現れ出でよ金次郎 国の財政立て直すとき