天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

二宮尊徳生誕の家

小田原市栢山2065-1にて

 小田原に行くとどこかで二宮尊徳関係の記念物に出会うが、うかつにも今まで二宮尊徳がどこで生れたか、正確な場所を知らなかった。今回、堀之内若宮八幡の力石を訪ねるために地図を調べていて、すぐ近くに生誕の家があることを知った。生家はもちろん昔のものが残っているわけでなく、復元したもの。裏には尊徳の叔父さんの子孫が現在も健在であり、生家の隣には鉄筋造りの立派な尊徳記念館がある。
 尊徳記念館で一番興味深かったのは、彼の肖像画である。描いた画家の名前を忘れたが、顔のスケッチが多数残っていて、どれも似たもの。ある年齢の本人の顔に最も近いと思われる。
 次に興味深かったのは、彼が俳句も作っていたこと。数は多くなく、上手とは言えない。例えば次のようなもの。


     馳(はせ)馬(うま)に鞭打ちいづる田植かな
     世の中の善惡(さが)をば聞かず山桜
     明月や烏はからす鷺はさぎ
     嵐吹くや烏の中の鷺まじり


俳句に対して道歌(どうか)は、数多く作っている。道歌とは、道徳的な教訓的な短歌をいう。体験にもとづく世智や訓戒である。次にできるだけ教訓臭の少ない例をあげる。それでも現代人は辟易するだろう。


  田を深くよく耕して養へば祈らずとても米や実らん
  み吉野の花も盛りは限りあり嵐を待たで散るぞ悲しき
  来る年も貴賤老若隔てなく眺めに飽かぬ吉野山かな
  遊ぶべき時も忘れて夜昼と勤めつくせば楽しかるらん
  我といふその源をたづぬれば食ふと着るとのふたつなりけり
  早起きに勝る勤めのなかりけり夢でこの世を暮らす身なれば


 尊徳は道歌通りの生き方をした偉大な日本人であった。