天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

道づくし(11/11)

一本道

定家の歌論では、有心体以上に歌の本来の意味にそった体はない、優れた歌はそこに深い心が宿っているもの、優しく趣のあるように詠むべきである、と主張する。
対する塚本の歌論では、短歌という詩型はプラスの詩型ではない、前世紀の遺物である、それを現代に生かそうとなれば、負の力がなければ絶対にだめである、と主張する。定家の歌「花も紅葉もなかりけり」は、負の底力によって名歌たり得ていると高く評価した。
ふたりの歌論の特徴がそれぞれの道の歌にもよく現れている。
なお一般的傾向に関して付言すれば、現代の若手歌人は形而上の道を詠むことがまれになっている。
これまでに取り上げた歌の例は、筆者の身辺にある歌集やアンソロジーからであるが、他の膨大な歌集にも道に関連する名歌・秀歌のあることは論を待たない。これらを鑑賞する際に本論が参考になれば幸いである。