目(め)は「みる(見る)」の語根で「め、ま、み」と音転する。「目・眼」を含むことわざ・慣用句・故事成語・四字熟語は多い。ただ、このシリーズでは目の視覚機能を中心に詠んでいる。
青旗の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども直(ただ)に
逢はぬかも 万葉集・倭姫皇后
目には見て手には取らえぬ月の内の楓(かつら)のごとき妹を
いかにせむ 万葉集・湯原王
一二(ひとふた)の目のみにあらず五六(いつつむつ)三四(みつよつ)さへあり
双六(すごろく)の采(さえ) 万葉集・長忌寸意吉麿
雲隠る小島の神のかしこけば目こそ隔てれ心隔てや
万葉集・柿本人麻呂集
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
古今集・藤原敏行
おもへども身をしわけねばめに見えぬ心をきみにたぐへてぞやる
古今集・伊香淳行
世の中はかくこそ変りけれ吹くかぜのめにみぬ人もこひしかりけり
古今集・紀躬之
来む世にもはやなりななむ目の前につれなき人を昔と思はむ
古今集・よみ人しらず
先ずは万葉集の作品から。
一首目: 天智天皇が崩御の前後に倭大后(やまとのおほきさき)が詠んだ三首の歌のうちのひとつ。「青旗のように青々と茂った木幡山の上を天皇の魂が通うのが目に見えるのに、現実にはお逢いできない。」との嘆きである。
二首目: 湯原王が旅先で出会った娘子に贈った二首の恋歌の内のひとつ。「月の内の楓」とは、中国の伝説で月の中に桂があるとされていることから。
三首目: 双六の「采」とは、「サイコロ」のこと。当たり前の内容を歌にした。
四首目: 「雲に隠れた恐ろしい小島の神におののいて逢えないことがあろうとも
心離れることはない」という意味で、親の目を盗んで逢引をすることの難しさと心情を
詠う。
次に古今集。伊香淳行の歌には、詞書「東(あづま)の方へまかりける人に詠みて遣はしける」がついている。一緒に行きたいとは思うけれども、この身を二つに分けるわけにもいかないので、「目に見えぬ心」をあなたと一緒に付き添わせましょう。という意味。
他の三首は、なんとか分る。