天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

明月記

 藤原定家の日記『明月記』については、詩人の堀田善衛による『定家明月記私抄』を以前に読んだが、あまり印象に残らなかった。現在、「短歌研究」で高野公彦が歌人の立場から現代語に解釈しているが、これがなかなかに面白い。例えば、先日触れた屏風絵と画賛の関係のわかりやすい事例が出てくる。後鳥羽院からお達しがあり、最勝四天王院の障子に画く名所を決めて、それぞれの絵に歌人十人がそれぞれ和歌を詠み、その中から最も優れた歌を画賛にする、という。画家にしても実際にその名所に行ったことが無いのに、伝聞や関連の和歌から想像して描くような事態が出てきたらしい。そして歌人は、そのような絵を手がかりに歌を作ったのである。定家のような専門歌人は、こうして作った歌のほうが、現実に見聞きした情景を詠んだ歌よりはるかに多かった。歌の技法を洗練するには、こうした状況がかえって幸いしたのかも知れない。