天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

切れ、省略、幻影

 会社の昼休み、雨が降って散歩にでかけられない時は、『芭蕉全句』を読んでいる。今日気がついたのだが、切れ字「かな」の句がずいぶん多く、「けり」の句は少ない。それで「かな」の句だけに目をとおしたら、俳句の秘密がわかるような気がしてきた。しばらくこのことを研究テーマにして考えてみたい。いくつか例句をあげておこう。
        愚にくらく棘(いばら)をつかむ蛍かな
        あさがほに我は食(めし)くふおとこ哉
        梅こひて卯花拝むなみだ哉
        ためつけて雪見にまかるかみこ哉
        物の名を先とふ蘆のわか葉哉
        何の木の花とはしらず匂哉
        さまざまの事おもひ出す桜かな
        雲雀より空にやすらふ峠哉
        田一枚植て立去る柳かな
        水の奥氷室尋る柳かな
        鳩の声身に入わたる岩戸哉
        山城へ井出の駕籠かるしぐれ哉
        玉祭りけふも焼場のけぶり哉
        きりぎりすわすれ音になくこたつ哉
        石山の石にたばしるあられ哉
        むめがかにのつと日の出る山路かな
        蕎麦はまだ花でもてなす山路かな
        猿引は猿の小袖をきぬた哉
        雑水に琵琶きく軒の霰哉

 次の句の主人公あるいは主語は誰か?
        田一枚植て立去る柳かな
        水の奥氷室尋る柳かな
ここを考えるところから、切れ、省略、幻影 という重要なテーマというか技法が出てくる。