白鳥古墳
宮参りに訪れた熱田神宮の境内のパネルに芭蕉の次の句が大きく書かれていた。
磨ぎなをす鏡も清し雪の花
身のうちに太鼓ひびかふ神楽殿朱き袴がすり足にくる
ありがたき祝詞の声に頭を垂るる年の初めの初宮詣り
うら若き祝詞の声に頭を垂れて子の寝顔見る初宮詣り
安産のお礼参りに厄払ひ住所氏名を祝詞に聞けり
誰にでもつらき夜ありこの子にもそれを思へば涙ながるる
宮参りの後、家族と別れてひとり白鳥古墳に行く。ずいぶん以前に来たので、場所がなかなか思い出せない。ここは古くから日本武尊の御陵の説がある。また鈴鹿山中で亡くなった日本武尊の霊魂が白鳥となり降り立ったところという伝説から白鳥御陵と呼ばれている。正面に石段がありその左下に白鳥御陵の碑がある。裏を見ると、明治三十六年四に建立とある。表には本居宣長の歌が書かれているが、難しくて読めない。
白鳥古墳の近くに前方後円墳の断夫山(だんぷさん)古墳があり、こちらは尾張氏の首長の墓らしい。
寺の護る雑木山なりかしましくひよどり群るる白鳥御陵
戦災に遭ひて単なる雑木山白鳥御陵の名前かなしき
宣長が偲びて詠みし歌あれど形くづれし白鳥御陵
断夫山(だんぷさん)空堀めぐる石垣は前方後円墳をふちどる
白鳥古墳の横付けする形で白鳥山法持寺がある。由緒沿革によると、天長年間に弘法大師が熱田神宮へ参籠したおり、日本武尊を慕い、自ら本尊延命地蔵菩薩を彫って小祠を建立したのが草創という。過去何度か大火に遭ったらしい。門を入った左手に句碑がいくつかある。昭和三十二年から三十年間、三保ヶ関部屋の宿舎になっており、横綱北の湖が誕生したということで、彼の句や言葉の石碑もある。それは省略。
薮柑子霜立つ庭の媚びとなり 山岡荘八
何となし何やら床しすみれ草 芭蕉
貞享二年三月二十七日記