天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

千代田のさくらまつり

 四月になったので靖国神社社頭の掲示板の内容が替わった。明治二十五年の明治天皇御製「花」は次のような作品である。
     ちはやふる 神の齋垣の 花さきて
     まうづる人も おほき春かな

 遺言は、昭和十九年二月、マーシャル群島で散った海軍兵曹長二十七歳のもの。

  残されし海軍兵曹長の遺書夜にしたため簡潔なりき
  生還の期し難ければもののふの妻を誇りて取り乱すなと
  七転び八起きのこころふるひ起し世の荒波を乗りきれと説く
  短かる結婚生活なりしかど楽しかりしと妻に謝したり
  生まれくる子供の名前記しおく征一郎かあるひは洋子
  生まれくる子を見たけれど仕方なし清く美しく育ててくれと
  安産を祈りて逝きし父なれば海鳴り高きマーシャル群島


 晴天になり、九段坂の靖国神社千鳥ヶ淵周辺は、「千代田のさくらまつり」の最中でもあり、散り始めた桜を惜しんで新入社員、新入生、サラリーマン他大勢の人でにぎわった。

     銅像の美髯もかすむ花吹雪
     木の影のまだら模様やさくら餅 
     掲示せる遺書にさしぐむ櫻かな
  ちはやふる神の齋庭に花さきて戦にちりし御魂なぐさむ